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 金 利恵(キム リエ)句集『くりうむ』  ―身体的母国と精神的母国の融合体験がわたしたちに問いかけること

 

金利恵句集『くりうむ』  ※注「む」は小文字
コールサック社 2024年3月刊


 この句集の他にない際立った特色については、ここに転写引用させていただいた「著者略歴」と、次に引用する「あとがき」のことばを、じっくり味わっていただいた方がいいだろう。

 読後、大半の読者が普段考えたこともなく、体験したこともない、ある感慨に包まれるはずである。次がその「あとがき」の一部。

     ※

あとがき

 母国の舞を求めて韓国にやって来たのは、二十代半ばを過ぎた頃だった。未知のことばを学び、暮らし、そして毎日のように母国の音楽にのせて舞の動きをなぞった。日本も、日本語も遠ざけた。そうしなければいけないと決めていたのだ。曖昧はいやだ、私を本流にもどすのだ、と。でも、今思うと、そうすればするほど、ゆえに、その奥で、私は自分のほんとうのことばを探し、求めつづけていたのかもしれない。

 俳句に出会ったのは韓国で暮らし二十年を過ぎた頃だった。十七音字で心を紡ぐ。背を向けていた日本語が瑞々しく私の前に現れた。日本語との再会。心地よく、豊かで、なによりも私に自然だった。あ、なるほど。そういえば、私は日本語で育った。私を作っているのは日本語なのだった。ことぱの、感触や温度や匂いや風景や記憶……。同時に、この国で暮らしながら私のことばとなった韓国語。

 心の肉体表現を契機に、心のことばの表現である俳句に出会い、惹かれていった。この二者は、互いに引っ張り合い、ときには退け合い、また絡み合い、寄り添ってふくらみ、抱き……そうして互いに在る、と思う。(以下略)

      ※

 作者の金利恵氏は、両親とその祖系は韓国人だが、日本に移住した両親のもと、日本で生まれ育っている。つまり日本語を日常語として成長したということだ。

 だが自分の祖先の伝統的な韓国舞踊を通して、自分のアイデンティティへの覚醒体験をし、最初は外国語的だった韓国語に習熟し「母語」と自認できるまでになっている。その後で俳句に出会うことで、彼女が幼児期から習熟していた「日本語」ということばによる「詩」の世界が、彼女のもうひとつの自己表出、自己表現の世界として獲得されていった、ということだろうか。

 本人にはそのような体験であるが、そのことも背景として、この句集として追体験するわたしたち読者には、ひとつの内的な問いかけを齎す。

 日本の過去の植民地支配という覇権的な政策、つまり戦争の時代の瑕疵に向かい合わされ、国家とは、ことばとは、自分とは何かという深い問いへと誘われずには済まない体験をすることになる。

 図式的になるが、金利恵氏という個的生命体は、その身体性を韓国舞踊として、そして精神性に関わる、ことばによるポエティカルな俳句表現という二つの世界が、融合、統合されて形成された、ということもできるのではないだろうか。

 引用箇所の最後の方の「この二者は、互いに引っ張り合い、ときには退け合い、また絡み合い、寄り添ってふくらみ、抱き……そうして互いに在る」と金利恵氏のことばは、さながら韓国と日本という歴史性を背負う文化のメタファーにも読める。

 現実の歴史が心理的な葛藤を遺したように、それを内的に体験する者にも葛藤を強いられる。

 それでも、金利恵氏の句集として編まれたこの書では、それが文化的な融合の、ひとすじの希望のように感じられて、深い感銘と余韻を読者に齎す。



 句集の名、『くりうむ』(注「む」は小文字)は「クリーム」、つまり英語のcreamを想起してしまうが、発音も意味も違うようだ。「あとがき」で金利恵氏は次のように解説している。「愛おしさ、恋しさ、懐かしさ」と訳しても、どこかしっくりこない、ぴったりとした日本語には翻訳できないそうである。

 句集の章立は「起・景・結・解」である。
 日本語の「起承転結」に似ているが、韓国伝統音楽の長短の基本的循環過程の「起・景・結・解(起こす・展く・結ぶ・解く)」だそうだ。

この四つの柱が息遣いとなり舞となる。解のあとに再び起となり景へと続き、巡り流れる。いまは、私のからだと心に沁み込んだリズムと息遣いでもある」と金利恵氏は解説している。

 句集でも身体的な舞踊のリズムと、「俳句」の韻律の二つを融合させようとした意思が感じられる句集である。

 以下、特に印象深い句を抜粋して、句集紹介とさせていただく。



Ⅰ 起 

 くりうむは花の奥またその奥へ       註「む」は小文字

 小さきものすみれに語るときは母語

 くちびるに花ひとひらや多弁恥づ

 舵取りはどのひとひらや花筏

 くちなしの触るれば頷きてかをる

 百日紅こぼれて青き空残り

 もう家に戻らぬ鰯雲とゆく

 舞ひ終へて色なき風と添ひ寝して

 手も脚も息も心も月なぞる

 秋霖や母国・母国語・母語・祖国

 冬木立心のかたち身のかたち

 母国語の刃光りぬ初時雨



 どこか優雅な舞の韻律を感じさせる句が多い。

 その舞のリズムの中にも二つの文化と言語体験の葛藤が滲む。

  秋霖や母国・母国語・母語・祖国

  母国語の刃光りぬ初時雨 

 先にも述べたが、わたしたちが生まれ育つ家庭で、自分が習得しつつある言語を、ことさら母国語、日本語とは認識していない。ただの日常語である。それがこの句の「母語」ということばの背景にある認識ではないだろうか。

 長じての「学習」により、国家なるものを認識させられてはじめて、それが「母国語」と規定されるものと知る。つまり「母国語」とは極めて政治的なものなのだ。

 二句目の「母国語の刃光りぬ」には、他国との軋轢で戦うために言葉が使われる不幸な対立と分断の景を、背景に想起してしまう。

 だが、作者は下五に季語の「初時雨」という恵みのことばを置いている。刃ではない柔らかな祈りの心が添えられているように感じる句だ。



Ⅱ 景

釦ひとつ外し五月の母の美し

うすものの袂は風の棲むところ

傘とぢて母にもどらむ梅雨の朝

夕焼のありか尋ぬる地図欲す

福耳のおとうとひつじ雲に乗る

帆を高く上げ月白の街を曳く

韓(から)瓦(かわら)反りて寒三日月吊るす

 
Ⅰの章では、

  パラソルを開くわたくしここに在る

とあったが、この章の次の句と響き合うところがある。

  傘とぢて母にもどらむ梅雨の朝

「パラソル」の句は個としての存在性の象徴として、「傘」の句では命を繋いだ子の母としての存在性の象徴として詠まれている。
 

Ⅲ 結
 
 異文化といはず多文化すみれ咲く

 飴売の鋏の音や三一節(サミルチヨル)    

※「一九一九年三月一日、日本植民地支配に抗し自主独立を求めた運動の記念日」の註

 鳴りやまぬ風鈴胸の木につるす

 あぢさゐの鉢抱き帰る身ごもりぬ

 
Ⅳ 解

 唖蟬の夢深淵の灘を飛ぶ

 鶏頭花剪りて真青の天に刺す

 もものせてちさきてのひらうすきちず

 ひぐらしの記憶の奥へ鈴鳴らす

 彼の世とは背中のあたり二日月

 この国を引つぱれ引つぱれ鰯雲

 花の名のひと花待たず花の國       

 ※黒田杏子の訃報についての句の一つ。

 さくらさくら一行の詩を舞へと舞ふ    

※作者の「俳舞」についての黒田杏子の句「寒星座満つ一行の詩を舞へば」への返句、との註あり。
 

以上、他にもたくさんの秀句があるが、わたしの好みで厳選させていただいた。

全句の味わいに、人間のザイン(存在性)を見詰める眼差しが通底しているように感じる。

身体的母国と精神的母国の融合表現が、わたしたちに何かを深く問いかける句集である。


なお、「序」には髙田正子氏が寄稿している。髙田氏は金氏が今所属する「青麗」の主宰だが、二人とも黒田杏子主宰の「藍生」の同人だった。黒田氏が支援した、この句集の完成を、髙田正子氏が引き継ぎ、その舞踊と俳句の魅力を存分に語っている。

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