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戦場の蝶  永瀬十悟俳句集

戦場の蝶  永瀬十悟俳句集
                                                  「俳句」2022年6月号

 
 過去の戦争詠は平和祈念の句として、季語を使って詠まれてきたが、東日本大震災のような、今、現在の時事と季語を取り合わせて詠むことには違和感があり、俳句には詠みにくいという固定観念が、永い間、俳句界の常識になってきたところがあった。
 だが、東日本大震災が起きた時、いち早く「ふくしま」と題して応募された永瀬十悟の50句が、その年の角川俳句賞を得た。
 季語と震災被害の只中のくらしの実相と実感が、違和感なく融合した作品だった。
 しかも、伝統俳句的な眺めて詠む、他人事的な表現ではなく、その渦中にある人の存在感のリアリティを持った表現として成立させていた。
 思えば、俳句には時事詠は向かないという神話が壊れた、大転換が行われた、記念すべき「事件」でもあったと思う。
 永瀬十悟はその後もその作品世界を深く掘り下げ、後に『橋朧―ふくしま記』『三日月湖』という句集に結実させてきた。
 
 この度の「戦場の蝶」という作品集は、ロシアのウクライナ侵攻というリアルタイムの世界的な戦争という時事を、独自の視座で造形表現することに成功している。
 東日本大震災以来、評価されてきた永瀬十悟でなければ、詠み得なかった表現がなされている。
 このことを詠んだ句は、各所でたくさん発表されているが、抽象的な戦争批判、平和祈念詠が多い傾向がある。
 だが、永瀬十悟のこの作品集は、それらの大勢の句の傾向とは一線を画した、戦争そのものの痛みというリアリティを獲得したものになっている。
 特に標題作の次の句、
 
  戦場の蝶は狂はぬやうに舞ふ
 
   戦場の狂気の嵐の中で、正気を保とうとしている壮絶な兵士の個の命の手触りが伝わってくる、圧巻の表現である。
 
    散るさくら満州事変のその後

  この句には、今のロシアの軍事侵攻は他人事ではなく、かつての大日本帝国軍が東アジアに対して行ったことと地続きであるという、深い自省の表現となっている。
   ロシアのウクライナ侵攻を、このように「我がごと」の視座で詠み得ている俳人は、少ないのではないだろうか。
   ここにも永瀬十悟の独自の視座と独創性がある。

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