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父の記憶にー「現代俳句」2022年6月号掲載句に因んで   武良竜彦俳句

  写真という映像が課題の「共吟」の依頼による初めての連作でしたので、難しく、苦吟難吟でした。

 写真では読み辛いと思いますので、以下に、投稿原句を上げておきます。

 ヒトはまづ水際(みぎわ)にくらし梅雨晴間

 手を振れば海の対岸(むかふ)に戦火あり

 イクサ船アブラ船寄る夏湊

 敬礼を忘れて亡父(ちち)の夏の岸

 津波来よ萬の御霊(みたま)を載せて来よ

  課題写真の右側の人物の後ろ姿が、あの公害企業「チッソ」の工員だったときの、亡父の工員服姿によく似ていて、父の記憶が蘇り、それを中軸にした連作句を作って提出することにしました。

  父は若い時、兵役で満州に行かされて、通信二等兵として、重い無線機材や地図や暗号簿などの資料を背負っての行軍だったそうです。中国兵に狙撃されて銃弾を胸に受けて卒倒したそうですが、気が付くと、振り分け荷物ようにしていた鉄の無線機に銃弾がめり込んでいて、助かったそうです。

  その地域戦闘では日本軍が勝って、捕虜になった中国兵が惨殺されるのを目の前で目撃して、それがトラウマになっているようです。

  幼い頃、その話を聞いた後、

「父ちゃんも、敵ば殺したことの、あると?」

と聞きたくなりましたが、その言葉を飲み込んだことを覚えています。

  怖くて、とても、できない質問だと、自分が怯んだのだと記憶しています。

  戦争から帰国後、チッソの工員になりましたが、父はチッソで働くのは嫌だったはずです。でも家族を養うために、そんな愚痴ひとつ聞いたことがありません。

  父が常々言っていた、遺言とも言える言葉で「世の中で偉くなって、人を辛い目に遭わせるような人間には、絶対なったら、つまらんと(いけないよ)」を憶えています。

  わたしはその言外に「チッソのような会社に入って、人を苦しめるような会社人間になるな」という意味を受け取ったのでした。

  故郷の家で、父の工員仲間の飲み会があったとき、工員たちがチッソの社歌を歌い始め、その後続けて軍歌を歌い出したときに起こったできごとを、鮮明に覚えています。その歌に参加しなかったらしい父に対して、あんたも歌えと同僚が迫ったとき、怒りを抑えた低い声で父が、こう言うのが聞こえました。隣の部屋でわたしたち家族にもその会話が聞こえていたのです。

「軍歌なんか、なんが面白かか、なんが嬉しうて、人殺しの歌ば歌いおっとか、ぬしどんは」

  とたんに、部屋が静まり返ったのが判りました。

  しばらく間があってから、誰かが当時の流行歌を歌い出して、座はおさまったようでした。

  自分の妻(わたしの母)の漁師親族が「水俣病」で死んでいるのに、その加害企業の工員である自分の立場に、屈折した思いが父にはあったのでしょう。もともと軍歌も嫌いだったらしい父は、脳天気に社歌や軍歌なんかを歌う同僚たちのことも、死ぬほど嫌いだったのだろうな、と今になって理解できるようになった出来事でした。

  こどものわたしには、当時、そんな父の悲しみや怒りはわからなかったのです。

 敬礼を忘れて亡父(ちち)の夏の岸

という句は、そんな軍隊嫌いだったのに、戦場に行かされた父のことを思って詠んだものです。

  最初は「敬礼を拒んで亡父の旧軍港」としていたのですが、それでは一本調子のメッセージ性が強くなると思い、推敲の結果、「忘れて」にしました。

  実はこの句は先行句へのオマージュ句でもあります。

   旧軍港直立の父傾ぐ母   齋藤愼爾

  戦争体験世代の男と女の違いを象徴的に表現した名句です。

  斎藤愼爾氏の『陸沈』という句集で、巻末の解説と、付録の「栞」で、全句評を書かせていただいたとき、この句について以下のように鑑賞文を書いています。

  戦後になっても、軍艦など軍関係のものを見ると、兵役体験で軍隊式に刷り込まれた「直立不動」の姿勢を、無意識にとってしまう男たちの象徴としての父の姿と、厭戦の思いが身に染みつい立ている女たちの象徴として、立っていられない気持ちになってしまう母の姿が描かれている、と。精神的な戦争被害の姿が詠まれているといえるでしょう。

  わたしはそのことを踏まえて、父の御霊が、その呪縛から解き放たれていて欲しいという思いの方を表現しました。

   この句が「現代俳句」に掲載されて刊行されると、早速、この句と齋藤氏の先行句を上げて、千葉信子さんが、息子さんを経由して感想メールをくださいました。さすがの慧眼と深謝しました。

 話は変わりますが、父の脛には銃創がありましたが、

「どげんしたと、この傷」

と訊ねても、決して話してくれませんでした。話すのも辛い凄惨な体験があり、思い出したくもない記憶の纏わる傷だったのだろうと思います。

最後に父の記憶に寄せて詠んだ三句を以下に、付け加えておきます。

  父に問へずアナタハ人ヲ殺メマシタカ

  ゆうすげや軍歌謳わぬ父を持ち

  兜太忌や銃創語らぬ亡父(ちち)ありて

蛇足ながら、最後の

  津波来よ萬の御霊(みたま)を載せて来よ

という句は、大牧広の、

  黒南風の海よ人間返しなさい   
                      第七句集『大森海岸』(平成二四年刊)

の句へのオマージュ句です。 


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