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村田嗣治になりたくて

「フジタが目黒にやって来た」展
ミュージアムコンサート
〜パリを歩く avec Fujita〜

昨日ライブ終演しました。
ありがとうございました。

藤田嗣治氏に似ている人いたな…
と企画の方が思いついてくれた事がきっかけで、このお話は始まりました。

おかっぱ髭メガネ。
いつの間にかそんなキャラになった僕ですが、遡れば8年前の事。

8年前まではロン毛のモヒカンでした。

こんな感じ

そこから、おかっぱヘアに転身したのには、いくつか理由がありました。


①  1つは…
モヒカンの頃は、踊る時に前髪が長いと顔が隠れることで、セクシーな雰囲気が出るので、モテると思っていた事と、しかしその割に顔で踊ることが8割の僕には、顔が隠れるのは死活問題だと本気で悩んだから。
前髪が揃っていたとしてもセクシーさを出せるようなダンサーになろうとその時に決めました。


②2つ目は…
中学生の時もおかっぱヘアでした。
それはジムキャリーが主演した「Mr.ダマー」という映画を観て、こんなバカな人みたいになりたい!とその頃本気で思っていたから(くだらなくて最高の映画です)
あの頃を思い出し再度アホみたいな髪型にしたいと思ったからです。

③3つ目は…
このままいくと禿げるので、その前にやりたい髪型をしておこう…
という理由。隠している訳ではないんですが、隠しているようも見えるかも笑
消費期限はまもなくかな笑
(「髪の毛が後退しているのではない私が前進しているのだby孫正義」)


そしてそんな事を漠然と考えていた時期に出会っていたのが藤田嗣治という画家の写真。
この写真をきっかけに上の3つの事も考え出したのだったと記憶してます。
なんとなく存在を知っていましたがよくよく調べてみたら、、、

この写真の構図で僕も撮りたい



おかっぱヘアは
"お子様" "お笑い"
そんな印象があった中、藤田嗣治という人の人生はなんともハイカラで突き抜けているなと。こんな風な人になりたいなと思ったこと。
僕もパリという地に憧れを抱き続けている事などが、おかっぱへの最後の一押しになりました。


それからはずっとおかっぱ。
あの頃にいつか藤田嗣治に関わるお仕事とか出来たらいいな。なんて話していた事がこんな形で実現して、夢が一つ叶いました。


この1ヶ月、改めて藤田嗣治の本を読んだり、映像や映画みたり、沢山の発見と影響を受けました。

ライブでは、藤田嗣治がパリに渡り活躍を始めた1920年代の音楽を中心に構成。その時代の音楽に詳しい音楽家の菅野淳さん、オオサキゲンタさん、白石美徳さんに沢山のアドバイスを頂き、それもまた凄く勉強になりました。

このような貴重な機会をいただけた事に感謝致します。

また機会があったら
"村田嗣治"として
タップで見えない情景を描いてみたいなと思いました。

ご来場下さった皆様、このような機会を下さった皆様、藤田嗣治氏、ありがとうございました。



#藤田嗣治
#レオナール藤田
#目黒美術館
#フジタが目黒にやって来た  
#村田嗣治
#村田正樹





タップダンスをより多くの方に知っていただくための活動資金(様々な土地でのライブ・ワークショップの経費)にさせていただきます。よろしくお願いいたします。