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誰かを犠牲にした自由は認められる?メディアにおける性表現(覚書)

先週あたりに話題になっていた「月曜日のたわわ」について、考えたことや夫といろいろ話したことについての覚書です。

「月曜日のたわわ」は4月4日に日経新聞に掲載された広告で、ハフポストで取り上げられていました。

詳細は記事をお読みいただければと思いますが、漫画やアニメとジェンダー問題が絡むような記事や指摘はいつでも賛否両論です。
Twitterではさかんに意見が飛び交っていましたが、私が今回考えたいのは「電車内の胸の大きな子どもを性的な目で見ることを肯定する作品を大手の新聞で大々的に宣伝することにはどういう意味があるのか?」という点。

2次元の作品における性表現とジェンダーの問題は今後も何度も出てくると思うので、今回はよくある論点と自分の考えについて覚書として書いてみます。

  • 2次元の作品で未成年が性的な対象として描かれることについて
    →作品内で痴漢や性被害が肯定的に描かれているもの(被害者が喜んだり恥ずかしそうにするなど)は規制すべきではないか

  • 作品は性加害を助長するものではない(現実と創作の区別はついている)
    →本当にそうでしょうか?今回の漫画の内容には触れませんが、下にも紹介している、加害者臨床に携わっておられる斉藤先生の著書に詳しいので参考になると思います。

  • 表現の自由を侵害しているのではないか
    →作品を楽しみたい人のベネフィットと、作品によって被害を被る人のリスクを考えたとき、後者を優先すべきだと思う。表現の自由に関しては、作品を生み出すこと自体には制限はないが、公表や流通の仕方には制限があってしかるべきではないか

  • フェミニストによる2次元作品の過剰な取り締まり
    →痴漢に関しては、NHKの記事では高校生の4人に1人が被害経験がありました。福岡県警の調査でも同様の結果でした。被害を助長しかねない発信があった場合、アラートを鳴らすのは当然のように思います

これらのことから、今回の「考えてみたい点」に関しては以下のように結論づけます。

  • 痴漢や性加害、性暴力に関する表現が、実際の社会での取り扱いと異なる(性加害が肯定される)作品に関しては、制作に規制が設けられるべき。それが難しいのであれば、流通(入手方法、目にする機会)には規制がかけられるべき

  • 日経新聞のような大手の新聞で全面広告が出されるというのは、それらを許容しているというメッセージとなりうると考えられ、掲載は検討されるべきだった

最近、芸能界での性被害の告発記事がいくつか見られますね。
2次元の作品の取り締まりよりもそちらを問題視しては?というツイートを見かけました。
芸能界やメディア業界での性被害、ジェンダーの問題は多く指摘されており、性被害撲滅への動きが活発化しています。
実際に被害者と加害者が明らかになっている場合、すでに法的な対処がなされており、それ以上に個人的に批判する必要はないように思います。

2次元のキャラクターや作品が批判や炎上の的になりやすいのは、実際の被害とのつながりが指摘しにくい分、作品を守りたい人の反論も多くなるからではないかと思います。(あとは、フェミニストに対する嫌悪感などもあるかもしれませんね・・・)
ただ、未成年への性加害と児童ポルノの所持についての関連が指摘されており、加害者の「向こうが望んでいた、同意の上だった」というような歪んだ認知を強めやすいことから、フィクションの表現であっても、しかるべき規制を受けるべきではないかと思います。

今回の広告が批判の対象となった意味

私がジェンダーの問題に取り組む理由の一つとしては、子どもの将来のため、というものがあります。
子どもにはよりよい社会で、より安心できる環境で過ごしてほしい。
それと今回のテーマとの関連は、私は大いにあると思っています。

私たちが何をみてどう思うかは、「社会通念」や「一般的に何と言われているのか」などにも大きく影響されます。
今回の広告も「まあいいんじゃない」とならず、批判の対象となったこともとても大きな意味があったと思います。


未成年への性加害と児童ポルノの関係については、以下の本に書かれていますので、ぜひ参考にしてください。

まだまだ議論や言葉が足りない部分もたくさんあると思いますが、今回はここまでにします。

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