産まれた日

 その日もパチンコ屋に入り浸っていた。

 痛いくらいの騒音のなか、頭をからっぽにして手だけを動かす。日光はもちろん、蛍光灯にだって弱い自らの眼は、台のビカビカとした点滅にやられて上手く機能していない。眼前の情報を処理しきれず、網膜に当たって消えていくだけ。
 面白いことなんてひとつもない。生産性もない。これなら真面目に働いたほうが百倍マシなのだが。
「お!キタキタキター!!」
 リーチの演出がかかった途端、莫大な量の情報が脳に流れ込んできた。一気にドーパミンが放出され、心拍数が上がる。気合を込めてボタンを押そうと、腕を持ち上げた。
「ヨシ」
 その腕を、誰かに掴まれる。
「あぁ!?オイ!」
 一瞬の後、演出は途切れた。せっかく大当たりの可能性があったのに、それを阻まれたことで瞬時に頭に血が上る。
「誰だ!!」
「俺だよ」
 憎き相手に一発入れてやろうと勢いよく振り向くと、そこに居たのは最近ひょんなことから知り合った男・サチだった。
「てめえ!今自分が何したかわかってんのか!?」
「パチンカスを止めた」
 得意げな態度でこちらの威嚇をものともせずに言い放つ。この男のことを深くは知らないが、こういう所が気に入らない。
「ぶっ殺してやろうか」
「ふはは、別にいいけど。それでレイさんに示しつくんか?自分が斡旋した社員が殺人を犯したってなったらレイさん困るだろ」
 正論で返され、奥歯を噛み締める。自分は今苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。
「…で、なんだ」
 わざわざここまで呼びに来たのだ。なにか理由があってのことだろう。
「ああ、とりあえず出よう。」
 ここに居るのは中毒になって脳を破壊された人間だけなので、自分たちが騒いでも誰一人注目してはこなかった。しかしながらこの騒音は、確かに会話に差し支えるだろう。胸ポケットからサングラスを取り出し、夕日に赤く染った街に出た。
「単刀直入に言うが、お前の弟がもうすぐだ」
「…帰る」
 サチに背を向け歩き出す。すかさず肩を掴まれ、体を反転させられた。
「なんだよ!」
「なんだよじゃねえよ、お前の弟だろ。携帯見ろよ。親父さんすげえ必死になってたぜ」
 そう言われて尻ポケットからスマホを取り出す。父親からの着信履歴が溜まっていた。
「昔のバイト先からだと思って無視してた」
「お前なあ…」
 どちらにせよ病院には行く気がないのでサチの手を振り払い、再び歩き出した。後ろから気配が追いかけてくるのがわかる。
「なぁヨシ、お前はそれでいいのかよ」
「いいもなにも、俺には関係ねえ。そもそもあの女が気に入らねえ」
 そして、その女を選んだ父親も。そもそも息子と1歳しか変わらない女性と子供を作るとはどういう了見か。再婚相手の妊娠を知った日には嫌悪感で体が震えた。きっと女の方にもなにか打算があるはずだ。
「…多分、深巫子(みふね)さんはお前が思ってるような女じゃないぜ」
「そうかい。だが俺とは相性が悪い。そりゃ事実だ」
 サチの言葉に苛つきを隠しもせずに応える。父親の再婚相手・深巫子とは会う度に言い合いをするような仲だ。1歳しか変わらない女を母親として受け入れられる日が来るとは思わない。
「なあ、親父さんと深巫子さんは明るい家庭を築いてるよ。幸せになろうとしてるんだ。」
「俺抜きでな」
 言った瞬間、「しまった」と思った。これではあまりにもガキっぽいではないか。
 無意識に歩みを止めてしまう。
「…ヨシ」
「喋るな」
 恨みがましい声でサチの言葉を遮った。国道に繋がる細い道路で棒立ちになり、沈黙する男が2人。夕日が最後の力を振り絞り、燃えるような赤で街を照らした。
 不意に、縦に長く伸びるふたつの影に横長のそれが重なった。
「あ、いたいた!行くよふたりとも」
 国道から黒塗りの外国産車が侵入してきたのだ。高級そうなシートに身を収め、窓ガラスを下げて顔を出したのは我らが上司・レイだった。
「ささ、乗って乗って!早く行かなきゃ」
 運転席から降りた黒服が後部座席のドアを開け、手で中を示す。
「あの…どこへ」
 恐る恐る伺えば、「まあいいから!」と太陽のような笑みが返ってきた。

「いや〜、いま小学校の帰りでさ!サチ、ヨシを見つけてくれてありがとう。助かったよ」
「お疲れ様です!とんでもない!」
「お疲れ様です…」
 我らが上司は小学生である。とある企業の御曹司なのだが、その類稀な手腕と天才的な頭脳から、既に一部の会社の経営を任されているという。当初は半信半疑だったのだが、確かにこの子供の能力には目を見張るものがある。ただ、少しデンパ系なところがあり、よく「私はあと2年で死ぬ」と言っている。既に次の人材へ会社の引き継ぎを開始しているらしい。密かに、『御曹司という立場から逃げ出して普通の子供として生きたいだけなのではないか』と思っている。
「さてヨシ、少し聞いてくれるかな。私たちは今、君の義母が入院している病院に向かっているよ」
「な…!」
 少なからず察してはいたが、予想通りの回答に些か衝撃を受け、すかさず助手席のヘッドレスト部分を掴む。「まあまあ、落ち着いて」と宥める声が前から聞こえた。小さな手が節ばった手に重なりそうになり、恐る恐る手を引いた。
「出産に立ち会う資格がないと思うなら、私からの上司命令だと思ってもらって構わないよ」
「……」
 なんと返していいかわからず、項垂れる。
「ただね、これだけは言わせて。篤彦(あつひこ)も、もちろん深巫子も、ヨシを仲間はずれにしようなんてつもりはひとつも無いんだよ。」
「…あんたに何がわかる。ガキのくせに」
「ヨシ!」
 蔑むような発言に、隣に座るサチが咎めるような声を出した。
「いいのさ」
 それでも、上司の声は穏やかで、どこまでも慈愛に溢れていた。
「特に篤彦は、幼い頃ヨシにたくさん我慢させたことを悔いていたよ。深巫子も彼女なりに、篤彦と二人でヨシの帰る場所になる努力はしている。少しずつでいい。ヨシは邪魔者でも仲間はずれでもないってこと、君自身に気付いて欲しくてね。」
「……でも、1歳しか変わらない母親なんて、どう接すればいいかわからないし…俺の存在だけが家族の中で明らかに異質だ」
 気が付けば本音が漏れていた。上司には心の声を吐露させる能力でもあるのだろうか。
「ねえ、年齢がそんなに重要?」
「え…」
「私は8歳だけど、能力・精神力ともに君たちより優れているよ」
 ははは!と豪快に笑う。ナチュラルに貶された気もするが、気持ちいいくらいの笑い声にこちらもつられて柔らかな表情になる。
「篤彦が愛した人がたまたまヨシの1歳上だったって思えばいいよ。大切なのは魂だから。篤彦が愛した魂の器が、たまたま若かっただけだよ!篤彦が若い女のケツを追いかけるような男じゃないってことは私が証明してあげる。きっと深巫子の魂がどんな年齢、見た目、性別の器に入っていたとしても、篤彦はそれを愛していただろうからね。」
 上司と父は古い友人だそうだが、古いと言っても8歳児では限度があるだろう。しかしこの断言の仕方である。それに、何故だか突っぱねることの出来ない説得力がある。
「まあ簡単に割りきれないことも理解出来る。これから生まれる弟にも、きっとどう接すればいいかわからないだろう。でもね、ヨシ」
 空気がツンと張りつめる。この少年が大切なことを言うときはいつもそうだ。万物が対話をやめ、聞き逃すまいと少年の声に耳を傾ける。
「ヨシはこれから、『守るべきものができる』ということ、『守るべきものが自分を強くする』ということを知ることになるよ。」

 果たして、上司の予言は病室で見事的中することになる。
 病室に呼ばれて入ると、出産立ち会いをした父が生まれた子を抱いていた。
「お前も抱くか」
 一応妻に目配せをし、同意を得てから父は腕の中の子をそっとこちらに寄越してきた。今までまわりに乳児がいたことなどなかったので、その時はじめて赤子を抱いた。思ったよりずっしり重い質量。赤くて、熱くて、小さい。泣き疲れたのか健やかに眠っており、時々欠伸をする。
 子を母親に返すと、母親はおくるみから赤子の手を取りだした。
「ヨシさん、ほら」
 母親に言われ、手に触れる。途端、赤子の小さなそれは柔らかく窄まり、ゴツゴツとした指を握り込んだ。
 幼い頃、誰も握り返してはくれなかった手を。
 忘れられないくらい、温かかった。命の尊さを知った。これは幸せの塊だ。
 気が付けば涙が溢れていた。赤子は心做しか穏やかな顔をしており、勝手に微笑みかけられたような気持ちになった。いつからか灰色になっていた世界が色を取り戻していく。太陽の温度を思い出し、世界には音が溢れた。

 その日、守るべきものができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?