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【AIR】岐阜「SUNDAY BUILDING MARKET」へ

岐阜の柳ヶ瀬商店街というと1966年に歌手・美川憲一さんのヒット曲『柳ヶ瀬ブルース』でその名を知られるようになった商店街です。ただそれは今から半世紀以上前の話。

『柳ヶ瀬ブルース』が流行った1960年代頃、岐阜のアパレル産業が飛躍的に伸び、全国的にも有数の競争力を誇るようになり駅前に問屋街も形成。アパレル産業が潤ったことで、そのお金が柳ヶ瀬商店街にもおそらく落ちていたんでしょうね。当時の柳ヶ瀬商店街は、商業、娯楽、ナイトタイムエコノミーの場として求心力と持っていました。商店街の一角にあるスナック等の飲み屋街が集積してるエリアを見てみるだけでも当時、相当な賑わいだったことが窺い知れます。でも今は残念ながら空き店舗の集積になっちゃってるんですが。

ちなみにこちらのWeb情報ご覧いただくと、岐阜のアパレル産業がどのように勃興し飛躍を遂げていったのかが垣間見ることができ面白いです。戦後、岐阜駅前や駅周辺地域一帯が空襲により焼け野原だったところに戦地から引き揚げてきた人たちがバラック小屋を建て、軍服や古着を集めて販売しはじめ闇市ができ。その後布を仕入れて既製服の製造へと転換し大量生産・大量消費という時代の波に乗り街の一大産業へと発展していったそうです。

・社団法人岐阜ファッション産業連合会「岐阜アパレルの歴史」
http://www.gifu-fashion.com/history.htm

他の地域同様、岐阜市の中心市街地も郊外に競合となる大型商業施設が続々と開発されていったことで1990年代頃から市街地にある近鉄百貨店、新岐阜百貨店、岐阜パルコといった店舗が閉店に追い込まれ、柳ケ瀬商店街も当然ながら遊休不動産が目につく状況に。。

それがここ数年で商店街内でマルシェやリノベーションスクールがスタートしたりと、柳ヶ瀬商店街から発信されてくる情報が変わり始めていたのを感じており今がどんな様子なのか現地を訪ねてみたいと思っていたところ、毎月第3日曜日に定期開催されている「SUNDAY BUILDING MARKET」に先日ちょうどタイミングよく行くことができました。

・SUNDAY BUILDING MARKET
http://ysbmkt.com/

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