FC版「ウィザードリィ」レビュー「「当たり前の光景」をブチ壊せ!」
FC版「ウィザードリィ 狂王の試練場」が出たとき,
PC版ウィザードリィファンから
「末弥純氏のキャラクターデザインが我々から想像する楽しみを奪った」
という意見があった。
ベニー松山氏の小説は末弥氏のキャラクターデザインが
読者の前提知識として描かれていて,
手塚一郎氏の「ウィザードリィ4 ワードナの逆襲」の大胆なノベライズは,
元ネタとなった「ワードナの逆襲」は
当時PCでしか出ていない(末弥氏のキャラクターデザインじゃない)けれど,
手塚氏が懸命に末弥氏の影響から逃れようと,
もがき苦しまれているのを見て取ることが出来る。
手塚氏は国産ファンタジー小説なのに横文字(カナ文字)が多い事を
恥じておられて呪文名もアイテム名も
可能な限り日本語で書き表せそうとしておられたのだ。
とは言え手塚氏は「ウィザードリィ」と言う
海外のゲームの褌を借りて相撲を取っているジレンマと
「ワードナの逆襲」がウィザードリィの過去作のモンスターを
ワードナが召喚して戦うというゲームシステム上,
「ガーゴイル」って言葉を使ったら末弥氏がキャラクターデザインされた「ガーゴイル」が読者の頭に連想されてしまう「言霊のジレンマ」と
懸命に戦われていたのだ。
手塚氏の悩みは偉大なクリエイターの後に続く
全てのクリエイター達の悩みなのだ。
末弥氏の想像力に「従う」か「戦う」か。
ひとつだけ言える事は最早「末弥氏のキャラクターデザイン」が
無かった昔には決して戻れないと言う事だ。
「従う」ベニー松山氏も「戦う」手塚一郎氏も
クリエイターとしての態度であるに対して
「我々から想像する楽しみを奪った」
という発言は何も生み出さない不毛な意見であると同時に
懸命に創作されるベニー松山氏と手塚一郎氏に対して・創作に神秘に対して不敬であると言う意味に於て到底受け入れる事は出来ないのだ。
PC版ウィザードリィファンの特徴のひとつが
「常に上から物を言っている」
点であってPCで「先」にウィザードリィをプレイしていると言う
僅かな差分をタテに先輩面したいのと
花札屋が作った高々1万5千円程度のオモチャに
40万円もするPCが負ける事はあってはならないと言う
実に詰まらない見栄の産物なのだ。
そのくせFC版ウィザードリィが
PC版の死ぬ程長い待ち時間を殆どゼロにした功績はスルー。
PC版ウィザードリィ5に
末弥純氏のキャラクターデザインが採用された事もスルー。
「黙ってる」って事が何も言い返せない事の証明なのだ。
僕はPCゲーマーの方の作られた同人誌を読んだ事がある。
PCがフロッピーディスクの読み込みを開始したのを確認されてから
コーヒーをカップに注がれコーヒーを飲み終えて一息つける程,
「待ち時間は斯くも長いもの」との漫画がギャグとしてではなく
PCゲーマーの「当たり前の光景」として描かれているのだ。
その「当たり前の光景」をブチ壊したのが
FC版ウィザードリィで待ち時間は皆無。
リセットして再開するのに2~3秒。
この驚くべき快適さは僕に
「ゲームはカセットに限る」
と脳のシワに刻み付けられ現在に至る。
花札屋と罵られて来た任天堂が
強敵を次々とぶん投げる,
まるで少年漫画みたいな光景に魂が震えない訳ねえのである。
PC版ウィザードリィ5の待ち時間が劇的に短縮したのは
「恐るべき競争相手」
が誕生したからだ。
やはり競争しないと
「コレで誰も文句言ってないから何も問題ない」
って理由から技術は停滞するのだ。
後から来た奴に追い越されたって
「問題がある」から初めて必死になるのだ。
これまでは何も文句を言われなかっただろうが,
これからは
「なんでファミコンと同じことが出来ないの?」
って文句を,問題点を改善するまで言われ続けるのだ。
「なんでファミコンと同じことが出来ないの?」
は競合会社の合言葉となったのだ。
クリエイターはぶー垂れる前に走り出して行動してる。
FC版ウィザードリィを参考にしたり発奮材料にしたりしながらね。