タカノンノ先生の漫画「推し殺す」第1話&第2話レビュー「話は面白いけど主人公ふたりの名前と顔が即覚え出来ないのは漫画の第1話として失敗だと思います。」
高校2年生の頃,天才漫画家としてデビューした大森卓(本名:小松悠)は
デビューして暫くして描けなくなって「消えた漫画家」となった。
「描けなくなった」理由は編集に酷評された・級友に酷評された・
レビューサイトで酷評されたから…の様だ。
彼は今ではただの小松悠に戻って大学に進学する。
小松は漫画家志望の三秋縁とひょんなきっかけで知り合い,彼女の話を聞くと,
高校2年生の頃,同い年の大森卓の漫画に惚れ込んで,漫画を描き始めたが
大森との才能の彼我絶対差は如何ともし難く,
いつしか
「漫画家になって大森卓を殺す」事を目標に漫画を描く様になったと言う。
小松はウッカリ「漫画を描いた事がある」と喋ってしまった為,
懐かれてしまった訳だが彼女は大森卓=小松悠とは知らない。
彼女は容姿端麗で不思議な魅力があり
人との距離感がバグっていて無造作に距離を詰めて来る危うさがある。
行き掛かり上,彼女の描いた漫画を読む事となった小松だが
彼女の漫画は大森卓の影響を受け過ぎていてオリジナリティがなく,
時系列もメチャクチャ,漫画のそもそもの文法を知らない。
「オマエの漫画は駄作だよ」「これしきで大森卓を殺そうってのか?」
と「駄作となった技術的理由」をあげつらったところ,
彼女は直ぐに指摘点を反映した修正原稿を持って来た。
しかも彼女は小松に「私の担当編集者になって」と要求して来る。
コイツ…酷評される事を全然恐れてないうえ,
言われた通りに直して来たうえ,
描くのが早い…。
コイツなら漫画家になって
半死半生の俺に引導を渡してくれるかも知れない…。
小松は三秋の望み通り彼女専属の編集者となる決意をする…。
漫画家志望者と担当編集者の関係を年頃の女と男に例える視点が新鮮。
「男」がこの漫画を読んだ場合,
自分の言う事を素直に聞く女子を育成する楽しみを見出すことが出来るし,
「女」がこの漫画を読んだ場合,
女の漫画家志望と男の編集者のバディものとして楽しめるのではないか。
ただね。
小松悠は自分の描いた漫画を酷評されるのが嫌になって
「描けなくなった」訳だけど
彼は「漫画を描く事」を未だ諦めてないんじゃないかなあ。
身近に彼の漫画が好き好きって女子(三秋)がいて褒められ続けたら
「大森卓の復活」も大いにあると思う。
そしたら大森卓と三秋縁の「ふたりが漫画を描く話」も
十分有り得る訳で僕は「それ」を期待してます。
反面気になるのは
小松悠&三秋縁の主人公ふたりの顔と名前が即覚え出来ない点。
どういう事かと言うと極端な話,
この話って主人公ふたりの名前が鈴木一郎&山田花子でも成立するし
「ふたりのキャラデザ」が今と全く異なっても成立するのである。
僕は突飛な名前にしろなんて言ってない。
名前を聞いただけで顔がパッと思い浮かばないのは
キャラクター造形に問題があると言ってるのである。
要するに幾らでも取り換えの効く類型的なキャラなのである。
例えば「シグルイ」の藤木源之助と伊良子清玄の主人公ふたりは
第1話で即覚え出来るし,容姿も決して取り換えが効かないし
「藤木」「伊良子」と聞いただけで顔が思い浮かぶ。
また藤木の隻腕も背面の隆りも伊良子の盲目も跛足も
「物語の要請」によって特徴が生じてるのである。
小松と三秋には「それ」が全く無いのだ。
コレは大学1年生の男女誰にでも起こり得る話じゃない。
つまり没個性では困るんです。
だったら第1話で強烈なキャラクター性で
読者の魂を鷲掴みに出来なきゃおかしいじゃん。
今だって漫画を読んだばかりなのに,
ふたりの顔が全然思い浮かばない。
それっておかしいじゃん。
星の数ほど漫画がある中で
「推し殺す」が飛び出して見える個性が見たいのである。
「三秋縁は大森卓のコピーキャットであり個性が無いのが個性」
というのは「設定」の話であり,
その「設定」に読者を引き摺り込めるか否かは
作者の腕前…「力量」にかかっている。
つまり!第1話&2話を読んだ段階では
「設定を生かす力量が伴ってない」のである。
第1話で!読者の心を掴めないのはおかしいでしょう?
僕は小松と三秋に「隻腕になれ」「盲目になれ」なんて言ってない。
「何故他の誰でもないオマエ達が主人公なのか?」
を描いて欲しいだけである。
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