南條範夫 原作 山口貴由 漫画「シグルイ」レビュー「欠点すらも愛おしい」。
僕の生涯で影響を受けた漫画は
1.横山光輝先生の「マーズ」
2.荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」
3.山口貴由先生の「シグルイ」
で「ジョジョ」と「シグルイ」は全文丸暗記する程好きで
レビューを書くに当たって多大な影響を受けている。
「シグルイ」は南條範夫の時代劇小説「駿河城御前試合」の
「無明逆流れ」のくだりを原作とする漫画である。
本作品において
「一度失明した瞳は二度と「虹」を見ることは叶わず」
「一度切断された腕は二度と再生できず」
「一度亀裂が入った心は二度とは,二度とは…」
「当たり前」のこと,そう全ては「当たり前」のことが
丹念に描かれているのだ。
しかしその「当たり前」のことを山口貴由氏が脚色すると
次のような「煽り文句」となる。
「隻腕の剣士の刃は骨を断つことが出来るのか?」
「盲目の剣士の刃は対手(あいて)に触れることが出来るのか?」
「出来る」「出来るのだ」
ではどうすれば不可能を可能に出来るのか?
山口氏の「回答」はこうだ。
「失うことから全ては始まる」
「正気にては大業ならず」
「武士道とは死狂い(シグルイ)なり」
一度本作品を読み始めると止め時が見つからず気がついてみると
夜が明けていた経験を僕は何度もしている。
とにかく「べらぼう」に面白いのだ。
とりわけ岩本虎眼と伊良子清玄との対決,
伊良子清玄と藤木源之助,牛股権左衛門等の仇討対決のくだりは
一瞬の瞬きも許されない程だ。
ゴア描写も半端なく僕の「黒い心」も御満悦だ。
しかし欠点もある。
「駿河城御前試合」の「がま剣法」のくだりを延々と挿入して
「流れ」を切ってしまっている点。
「三寸切り込めば人は死ぬのだ」と言っておきながら
牛股権左衛門を「復活」させてしまった点。
夜鷹の子として生まれた清玄が母親の生命を切断してでも
武士として生きることを決意し更なる高みを目指す野心を抱いていた筈が
「野心を満たすために昇ってきたのではない」
「人間に優劣をつける階級社会を否定するために昇ってきたのだ」
と「主旨」がすり替わってしまった点。
何より「もっと短く終わるべきだった」点。
なれど。
それはあたかも光源氏がマザコンのロリコンだと
「源氏物語」を「非難」するが如き感想であって
非難が非難になっておらず寧ろ欠点すらも愛おしいのだ。
好きな作品を百万遍読み返す程の方ならば
僕の「言いたい事」が通ずる筈と信ずるものである。