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月は欠けを与える

占星術では月は欠損を与えると言う。新月では太陽星座の影響が強くなり、満月では、自分の抱える欠損が輝く。満月のそばで落ち着かなくなるのはそのせいか。僕の月星座は魚座だ。人と自分の境界があいまいになる。魂で見てしまう、身体を失う。同じだと感じる、同じように扱う。僕のなかで膨らんだ不安が黄金ように胸の穴を照らし、向き合わなければならなくなる。僕の手にした欠損。霞のように求めれば求めるほど沼に沈む、幻想を満たそうとしても、そこは空。僕の現実ではない。

僕の中にはすべての人と交わりたいという欲望がある。ただそれを許していない自分が居る。そのせいで不可解な距離感に陥ってしまう。大人数で話しているより、二人で話す方が好きだ。相手を理解したい、相手に理解してほしいと言うエゴが強い。太陽星座は射手座だ、それをやってのけようとしてしまう。月が欠損ならば、太陽が動力だ。そしてその他の惑星は僕が生きる上で得ていく経験のステージだ。どこまで来ただろうか。そういう答え合わせは必要だろうか。次に何を目指すだろうか、それを知っていると楽しめるだろうか。

占星術の歴史は長い。きっと最古の学問の一つだろう。星と人の関係性の統計をイエスキリストの生まれる前からやってきた。それほど深く、広い。それでも廃れず、現代ではどんな人でも触れられ、使う側へ行くことができる。この発展をみるに、今やこれからのために必要な学問なのだろう。あまりにもあたるこの占星術を知ったときに「僕は今世の経験や目的を達成するために生まれる時間と場所が設定されているのではないか」と思った。星のめぐりは大きな時計だ。ならその1秒刻みに乗ることができれば宇宙の導きは遠くない。そのために、自分のめぐりを思い出すツールとしての占星術だろうか。

僕にはすべてあっていいと言う感覚がある。それでも、どんなに苦しもうと経験だと言う結論を持っている。月が与える欠損が肥大化し、人と人との距離に怯えた。それでも一つになりたい僕は幼少期は人形、そして今は天然石や宇宙と一つになりたがっている。人は拒むが彼らは無条件に受け入れてくれる。ただ僕は人だ。さみしさは付きまとう。それでも人へ執着を手放せたのは確実で濃厚で真実の相手、魂の片割れがいるからだ。きっと二人で何かをやっていくと言う確信がある。その経験のおかげでどれだけ視野を広げてもここへ帰ってこれる。どこまで行こうと、自分のしたいこと知りたいことは必要な経験だと言い切れる。

今の世界は未知との遭遇によるアップデートを様々な手段で行っている。多角的に情報を集め、1分前の自分とでは信じていることがまつで違っていたりする。何に集中するべきか知るための散漫だ。何が必要か取捨選択のための冒険だ。すべて愛してしまえば、僕は僕を愛せると思っていた。健気で愛らしい自分を認め、許すための今日だ。欠けさえも愛せとその星は言う。欠けさえも美しいとその星は言う。今も変わらず、光の裏側で微笑んでいる。

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