見出し画像

あいをひらく

よく見える靄の紫は、ちょうど眉間のあたりに広がる。魂の声を聞かせてとみぞおちあたりを意識する。目を閉じて、音だけを拾い上げる。雨、自動車、外で動く人、PCの音。次第に意識していた部分が呼吸に合わせて燃え上がるように熱くなる。吐く息も手から出るエネルギーも温かくゆらゆら広がる。いくつかのイメージが浮かぶ。大きなお寺。僕はそこにいて女性が見える。手を合わせ参っている。彼女と離れていく。悲しみが湧く。これは僕のもではない悲しみだ。このドラマはもう終わっている。ただ持っていた「種」が芽吹いただけだ。早朝、長い石田畳、荘厳な本殿。振り返る女性が遠くなる。またねと暗くなる。

僕は怯えている。怯えることで生きていられるから怯えている。この生き方が合わなくなったら怯えるのをやめ、なにかするだろう。胸に集中しエネルギーを巡らせば、温かい。手のひらで球を作り、遊ぶ。世界を救えと上に投げてみたり、この場の低い波動を吸い上げてしまえとブラックホールのように使う。楽しい。音楽のように夢中になっていれば何か生まれ、そこに込められている僕の意図が日記のようで、愛が詰まっている。

きっとこれからもっともっと人々は五感で感じ癒されるもの、心や脳に作用するものに魅かれていくだろう。今までは肉体、臓器、他者、属するグループへの作用がメインだったのではないか。でも気づいた。私があらゆることに対処できればそれが1番幸せだと。そして、すべての人がそれぞれあらゆることに対処できるようになろうと生きている。僕が言えるのはこれだけだ。

あなたは間違っていない。それでいい。そのまま行けばいい。

悩みを抱えていようが、行き詰っていようが、誰かに迷惑をかけようが、それでいい、生きなさい。そのまま生きなさい。違和感を感じるまで、何かに気づくまで、何かに出会うまで、生きなさい。気づいて、感じて、知って、その時が来れば心も体も動く。ちゃんと人生を歩いている。道を外れるものなど誰一人いない。それでいい。何の問題もない。ただの経験だ。その経験をしたのだ。それだけもって次へ行きなさい。あらゆる形、あらゆる関係、あらゆる情報はあなたのものだ。たっぷり味わって。苦いものは捨て去ってしまえ。手元に残すのはあなたが喜び、愛にあふれるものを。

この世界だれしも幸福である。

そんなはずはない?どうして否定できる?他人の人生を評価できる?比較とは誰を見つめている?誰を愛している?良い悪い判断は何が基準?それは愛せている?恐怖を見つめるから恐怖に出会っているのだ。我々の抑圧してきた感情の種をもう手放してしまおう。愛しているか?迷ったらこの問いだ。まずは私は私を愛しているか、と聞いてみよう。必ず、胸やみぞおちが温かくなり、きっとそうなんだろうなと思うはずだ。何度も何度も問うとよい。次第に強く声が返る。

はい。愛してる。

そうすれば、あなたはあなたに出会ったことになる。ずっと独りではなかったと気づく。その間、悩みや不安は消えているだろう。その感覚を広げていくのがコツだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?