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あなたは自分の体を感じていますか?

自分の身体を大切にしようと思っている。
暴飲暴食、運動不足、過労、食生活。
ふと思った。僕は僕の身体についてどれだけ知っているだろうか。

武井壮さんがいつか「自分で自分身体をうまく動かすことができていない人がほとんど」言っていた。鏡の前で目を閉じて、腕を広げ肩の位置まで上げる、水平になるように意識して、目を開ける。すると相当数の人が水平になっていない。どうだろうか。水平なっていればあなたの意識と身体はうまくつながっている。
これも聞いた話なんだけど、音楽学校で声楽科だった友人からアレキサンダーのテクニックという身体の使い方の授業があると教えてもらった。その本教科書?には、身体のこの部分を動かしてみましょう!動かせたらお祝いしましょう!といろいろな部位の動かし方を学べるようになっていた。いくつか試してみたのだけど、あんまりうまくいかなかった。でも直感的に音楽をやるのには必要だと思った。楽器は体の一部で身体も楽器の一部なのだから意識して動かせた方がより良い演奏ができるだろう。
もう一つ僕は武術が好きだ。知り合いに気功ができて、中国拳法をできる人がいて、その人がよくパンチの打ち方とか教えてくれた。そこでも体の細部を意識できないとうまく運動エネルギーを拳に伝えることができずに毎度毎度「まだまだやね」と言われた。「ここを止めて、こっちだけ動かして」なんて言われてもやってないと一緒に動いてしまったり、その感覚がわからなかったり。

そういうものを経験して思うのは体のこと良く知らないんじゃない?ということだ。でも残念ながら僕が言えるのはここまで。こういう話をすると思い出すのが、いとこの銀行マンが知り合いの保険屋さんに「クライアントに何か提案するとき、私が話通しますので、お客様はサインだけくださいってくらい言えないとダサい」ということを言ってた。それは確かにそうだなぁ、と。しかし、今僕は持ってない。読んでくれた方にじゃあこういう手段はいかがでしょうか、ここでこの商品が買えますよって言うのはできない。ビジネスにならないのはそのせいだね。

薬についてはどうしてもケミカル薬物を身体に入れることが良いことだと思わない。薬草や休養、食事管理のほうが良い気がする。事故などは仕方ない、病院にお世話になるとしても。やはり利益やイメージ、権威が主になっているものの延長線上には不自然というか、違和感が付きまとう。彼らの目が死んでいるなら、僕は喜び輝かせている方を選びたい。

脱線したけど、身体を自由に動かせたら、もっと意識出来たら、もっともっと感覚が鋭かったらどれほど喜び、新鮮に生き生きと日々を過ごせるだろうか。僕はそこに可能性を見ている。人が生命、生物としての回帰、回復を喜ばないものはきっといない。元気で健康なら今よりずっと満ち溢れた人生だろう。

自分の身体はなんと言っていますか?
ちょっと話を聞いてあげてみてください。たくさんの要望があるかもしれません。1日1つだけ、身体のために1善。自分のために1日1善。

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