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世田谷の松陰神社へ

この間の散歩で、世田谷の松陰神社に行ってきた。

目的地で行ったのではない。たまたま何となく世田谷線に乗って自分探しをしていたら、「松陰神社前」なる駅があったので降りてみた、といういつものヤツだ。

僕は神奈川県民、それも三浦半島の民なので、「東京23区」と聞くと、品川の向こうの、もうだいたい大都会のイメージしかない。
それなので、例えば世田谷の住宅街のコインパーキングの最大料金とかを見ると、千代田区とかとは比べるべくも無い安さで、一気に親近感が湧いてくる。東京23区と一口に言っても、色々な地域があると実感させられる。

それはともかく、駅を降りて下町風情の商店街をすこし歩くと、立派な鳥居の神社が見えてくる。果たして、やはり松陰神社の「松陰」は、吉田松陰のことだった。その単語だけ聞いてピンときたあたりは、まだ鈍っていなかったらしい。

境内でお参りを済ませ、ふと横を見ると、松下村塾のレプリカの建物があった。

萩には行ったことがある。恐らく、松下村塾のあった場所も行ったと思う。しかしそれこそ10年以上経っているので、全然まとまった記憶がない。
なので、8畳と10畳って意外と狭いな、などと、新鮮な気持ちで建物を見ることができた。隣に来た歴女のような二人組は、写真をひたすらさまざまなアングルで撮っていた。世の中、本当に色々な趣味がある。

僕自身、吉田松陰には大した縁は無いが、何をした人かは、なんとなく知っている。そして、当時の体制側から見たら、反体制の指導者なので、目の上のタンコブだっただろうな、とも思う。早くに投獄されたのも肯ける。

亡くなったのは30歳の時。ほぼ同い年だ。ただ、当時は寿命が短いだろうから、今の30歳とは感覚が違うだろう。
絵図に残る吉田松陰の肖像は、失礼だが、明らかに今の僕よりくたびれた顔をしている。それが僕に、もっと歳を取っていたと思い込ませていた遠因であるかもしれない。

ともあれ、同い年ぐらいの人間が、多くの偉人に教えを残し、それが後々大きな出来事に繋がって、果てに神格化されて神社まで建っている。
どうやら、調べてみると、萩にも松陰神社があるらしい。あの地域に再訪することがあれば、ぜひ寄ってみようと思う。

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