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偏見に対して、自分がしてきた小さなアクション。ソーシャルワーカーの使命と思って。

中学2年生の頃、障害福祉のジャンルで仕事がしたいと思ってから、もう15年くらいが経ってしまった。

障害福祉の業界にいると

どうしても、関わる人の幅が限定されていき

一見、世の中は理解があっていい人ばかりに見えてくる。

それは、理解のある関係者としか会っていないからだ

戦うソーシャルワーカーになれていない。

しいて言うなら「ぬるま湯ワーカー」である。

大事なことは、

障害福祉の現場だけで社会を見るのではなく

社会全体から障害福祉を見る力である。

私も、「ぬるま湯ワーカー」にならないように

あえて、理解のないであろう人達の飲み会なんかで

障害福祉の話を持ちかけることがある。

これが社会の声だろう


最近、よく聞くのは障害者雇用についてだ。

会話はこんな感じ。

事例①

村「○○さんの会社って、100人以上職員いますよね?」

Aさん「いるよ」

村「障害のある人って、職場にいます?」

Aさん「え~、しらんわ~」

事例②

村「○○さんの会社って、1000人以上職員いますよね?」

Aさん「いるよ」

村「障害者雇用促進法とかで、何人か障害のある人、雇わないといけないこと知ってます?」

Aさん「知ってるよ」

村「実際、どんな感じですか?」

Aさん「まあ、やらないといけないのは分かるけど・・・」

大体、このパターンが多い。

私のミッションは、ここからいかにして障害福祉の話を伝えるかである。

伝わることもあれば、盛り上がらず終わることもある。

でも、こうした相手(社会)に対して

一人ひとりに、じっくり話をしていくのが

とてつもなく手間ではあるが、社会を変える唯一の方法だと思うときもある。

ソーシャルワーカーにオフな時間はない。

社会に対しては、常に興味を持ち、アンテナを張り

チャンスがあれば、話をしていく。これしかない。

やっぱり教育からだよな~

ただ、そうした中で

やっぱり教育だな。と思うことは多い。

福祉の教育といえば

福祉教育だ。

福祉教育と聞くと、車いす体験などが思いつく人は多いのではないだろうか。

こうした取り組みは、学校や社会福祉協議会などがメインで取り組んできた。

一人のソーシャルワーカーとして

福祉をどうやって生徒(こども)に伝えるかは、とても重要な仕事だと思う。

私がこれまで障害福祉に関わる中で、

今が伝えるチャンスだと思ったときがある。

チャンス~子どもが変見を持ったとき~

それは、自分が勤めていた障害者福祉施設の利用者さんが徒歩にて帰宅中、その付近の下校中の中学生に馬鹿にされた。という話を聞いたときだった。

私は、素直にこの生徒がどういう気持ちで行動・言動をしたのかを聞きたいと思った。

福祉施設として、施設長が中学校に行くと言うので

私は、一枚の手作り資料を渡した。

それがこちらである。

まずはじめに、本人やその家族の言われた気持ちを考えると、決して良いことではないし傷ついてしまっているのは事実であります。ただ、こうした出来事が起きたのは、地域にある福祉事業所の職員である村越の責任も大きいと自負しています。その上で、偏見に対して自分の思うことをお伝えできれば嬉しく思います。
偏見のプロセス
偏見になる前に子どもは障害者に対して「変見」を抱く。それはなんてことのない、当たり前の感情だ。「この人は自分とはここが違うな」「自分の親や兄弟とはここが違うな」と違い探しをする。そして、子どもは大人に聞く。「あの人なんで僕と違うの?」と。そうした時に、「それは・・・・(困り)。あんまり、じーと見てはダメよ」と大人が声をかけたときに、子どもたちの「変見」は「偏見」へと変わっていくのだ。
偏見ではない方向へ。
では、子どもが抱いた変見(「あの人はなんで僕と違うの?」)に対して、どういった対応をしていくことが良いのだろうか。・・・それは、まず「何が違うと思うのか?」と聞くことである。そこで子どもの素直な疑問を具体化させ、その違いについての話を最後まで聞く。そして、その次が重要である。その変見を抱いた相手の方と、子どもの同じところをその子に伝える。
伝えるべきことは、普通の自己紹介のワードで良い。例えば、好きな食べ物や趣味。すきなTVや、すきなアニメ。もちろん、そんな情報が無いときもある。そうしたときは、着ている服から、「あの人は野球が好きなんだ」「ピンクが好きなんだ」などなど。
そして最後に、その人の気持ちについて伝えるのが重要だ。「もし、あなた(子ども)の思い(変見)が社会から仲間ハズレ(偏見)のような方向へいってしまったら・・あの人(相手)はどんな気持ちでしょうか」と聞く。たぶん「嫌、辛い」と言った気持ちが返ってくるでしょう。そうしたら「同じ気持ち。感じる心はみんな同じ」と伝える。。そうしたときに、少しは心に入っていくのでないかと考える。こうして伝えていく大人が社会(地域)に必要なのだと私は思います。
※上の太線の所を伝えるために、先生方には障害のある方々と関わりを持って頂き、同じを感じる体験をしていただきたい。
同じ探し
子どものいじめでもよくあるが、子どもはよく「違い探し」をする。その違い探しは大人になってもある。しかし、その違い探しが、その後の自分や社会に対してプラスになるかは、この次の行動にかかっている。それは「同じ探し」ができるかどうかである。そして、この同じ探しを、子どもの頃は大人(地域社会)が一緒に行うべきだ。
最後に
こうして文には書きましたが、もちろん簡単なことではありませんし、これを実践したからと言って問題がすべて解決できるとは思っていません。大切な点は障害者理解のためには自分の立場になって考えることです。変見から「自分とは関係のないこと」のようなイメージを抱く子どもも多いと思う。その軌道修正が必要だと思います。私達福祉関係者は「障害者への理解。誰もが居心地の良い地域を目指して」この目標に向かって信じて進むしかありません。地域の中で、障害者に対する偏見的な差別は地域全体の問題だと考えます。
ただ、私達福祉事業所は、障害のある方含む全住民にとって住みやすい地域社会を目指しているため、この問題を一番考えなければいけない立場ですし、責任も感じております。
中学校とは、勤労体験や日常的に登下校などで関わる機会もあります。子どもたちが描く地域社会の中に、当たり前のように障害のある方が存在して、地域社会の仲間として、地域社会で共に働き・暮らし・生きていけたら良いと思います。こうした機会(チャンス)を機に、今後も子供たちの教育と地域福祉に全力で貢献していきたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。

この変見から偏見への転換をどう防ぐかは、

その時、近くにいた大人の行動一つにかかっている。

偏見といえば、障害者が思いつく人は多いかもしれないが、

この変見から偏見への転換は

ときに友人へのいじめに発展してくときも同じだし

自分の可能性を狭めてしまうことにも繋がる

つまるところ

偏見=物事を一つの方向からしか見られない者の未熟さ

と、村越は定義している。

未熟であるのは、当然だ

多くの大人がこの問題を、上手いこと隠そうとするからだ。

しかし、ここから逃げてはいけない

むしろ、チャンスと思って、違う見方。色んな方向性からの見方を伝える

それは最終的に色んな生き方を肯定できることに繋がるのだ。

この考えをもとに、試行錯誤で

オリジナル福祉教育を作成した。

共感してくれた学校の先生達と一緒に

これまで中学校で3つ。高校で1つ。

私のオリジナル福祉教育を実践させて頂いた

チャンスがあれば、いつでも授業させて頂きたいと思っています。

それは一人のソーシャルワーカーの使命だと思っています。

まずは、教育関係者の方々。

いやいや、全然関係ない人でも

全然、オッケーです。

普通に呑みに誘って頂くだけでも、べちゃべちゃ喋りますので。

良ければ声をかけてくださいませ。

まずは、あなたと気軽に話をしたいです。

その積み重ねが小さなソーシャルアクションです。

ちなみに

変見という言葉は、おそらく村越が作った造語です。

「なにか変わったもの見るとか、経験にないものを見る」みたいな意味です。

偏見は、ご存じの通り

「かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき、客観的根拠がないのに、特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情」

引用:偏見(へんけん)とは何? Weblio辞書

という意味です。

どっかの先生。一緒にやりましょう。

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