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大学時代、最高の講義をしてくれた先生に渡した手紙(感想文)が出てきた。

はい!ということで
気がつけば31歳。ムラコシタクヤ。

日本福祉大学を卒業して、もう9年が経ってしまう。

大学生の頃、好きな先生の講義は学部を飛び越えて受けていた。

そして、楽しすぎた授業を終えると

頼まれてもいないのに、先生の授業の感想文を渡していた。

大好きな先生に「本当、最高でした。めちゃめちゃ学べました!ありがとうございます!これ感想文です!」と渡すと苦笑いをして、感想文を貰ってくれて、

後日、別の講義で自分の話をしてくれたときは、嬉しくてたまらなかったのを今でも覚えている。

その感想文がコチラである。

精神科リハビリテーションを通して、現在日本の精神保健の遅れに気づかされ、そして意欲を持って学ぶことができた。
また、12月14日のゲスト講師で来てくださった「やどかりの里・尾村さん」の講義で、私が質問させていただいた際、野中先生が教えてくれた事が印象に残っている。
現在日本では、精神障害者の方が社会に復帰していき自分らしく生きていけるか、いけないか・・。
それには、運が必要であるということ。つまり、先進的(世界的に見たら遅いが)に取り組んでいる良い施設・良いソーシャルワーカーに出会えるか、出会えないか・・。
これは、大きな問題であり課題であると私は感じた。
講義全体を通して、精神科リハビリテーションに関する技術について深く学ぶことが出来た。
重要だと思える事柄はこれからソーシャルワーカーとして活躍していきたい私にとって大変ためになることである。先生には心から感謝したい。
はじめに、「障害受容論」を挙げる。歴史としては、Grayson,M(1951 )が「障害の性質をよく知り、社会的関係が現実的であり、ひどく情緒的にならない状態」を障害の受容と呼んだ。
その後、「価値的視野の拡大・比較よりもそのものの価値」に加え「障害の影響を制限・概観に重きを置かない」の四価値転換説が生まれる。日本では受容論の押し付けがあり、「受容できないこと」が責められがちであった。
南雲直二は「受容論の専制性・障害の影響の過小評価・社会的要因の過小評価」と述べた。
障害者という境界がいたずらにあいまいになるよりも、付き合い方が明らかになるほうが社会受容は容易となるということである。
精神科医の村田信夫は「相互受容論」という概念を提起した。さらに、さらに中途障害における障害受容は新たな人生の価値を見出すリカバリーの過程をたどること、とある。
そうした中で、私が重要だと思ったことは「障害を受容していないのは社会」ということである。社会の大きな問題点として偏見と差別が挙げられる。
これには、メディアが大きく関わっていると思う。精神障害者が罪を犯す率と健常者が、犯す率では圧倒的に健常者の率の方が高いことは証明されている。
また、精神障害者が危害を加えたしまったほとんどが、家族であることも知られていないのが現実の社会である。メディアは精神障害者=危険な人という印象を社会に与えてしまった。この誤解を解いていく必要があると感じた。
また、障害を「機能障害」「能力障害」「社会的不利」の3つに分けた場合「社会的不利」が一番の障害であることが障害者たちの声からわかっている。
Deegan,PEは、障害を持つもの同士の対話から、自分たちが求めるものは病気からの回復ではなく、人々の偏見、医源性の障害、自己決定の欠如、壊された夢からのリカバリーであると述べている。
そこで私は、リカバリー能力を培うのは当事者の努力。しかし、大切なことはそれを発揮していく場所(社会)の協力であると感じた。
根本的な解決策として、「障害を社会で支える仕組み」が必要であることは間違いない。しかし、スウェーデンのような仕組みにするには国家単位で動かなければいけない。
福祉に遅れた日本でこうした政策を待っていては時間の無駄である。つまり私は、「社会(国家)が障害を越えていく」のではなく(将来的には越えていかなければならないが)。
「障害が社会との壁(偏見、差別、)を越えていく」ことが大切なのだと思う。
そのために必要な考え方として、「目標志向的アプローチ」がある。このアプローチ方法は出発地点を「参加」にするという考えである。私自身、アプローチ方法としては「目標志向的」であると感じた。
そもそも、社会では当たり前のようにこの「目標志向的アプローチ」が使われている。しかし、障害者は「段階的アプローチ」を強制されてきた。
そのために、障害者の可能性・能力・希望は閉ざされてきた。今こそ障害者が「目標志向的アプローチ」をしていくことが求められる。そして、「障害者は出来る」これを社会に見せつけていくのである。
そして将来的には、就職率も2.3%に上げていくと野中先生も述べていた。こうして、障害者が社会を切り開いていく時代が少しずつ始まっているのだと感じた。
講義の中で一つとても共感を得る言葉があった。「I believe in them before they believe themselves」である。当事者は自分を信じれないときがある。
ソーシャルワーカーは「君にはできる」とあきらめてはいけない。希望を喚起する能力が必要なのである。
「1、リカバリーの可能性を信じている。2、将来の成果が定かではないことに耐える。3利用者のためにより良い成果を出そうとする動機が高い。4、希望を喚起する資源を豊富に持っている」
この4つはソーシャルワーカーになった際、自らの重要な技術としていきたいと思う。
最後に、この講義で野中先生と関わり学ばせていただいたから、日本の精神保健が遅れていることがわかった。
そして、ソーシャルワーカーの魅力・役割も知った。今後さらに学びを深めていき、日本の福祉レベルを上げていかなければならないと強く感じた。
引用:8年前の自分が野中先生の授業を受けて、頼まれてもないのに渡した感想文。

精神科リハビリテーションの野中猛先生の話は毎回毎回最高だった。

先生が8年前に言っていた法定雇用率は

先生の言うとおり、もうすぐ2.3㌫になる。

いつか先生の講義にゲスト講師で行くのが夢だったけど、それを叶えることは出来なかった。

時間は有限だ。

学生の頃から偉そうな事ばかり言ってきた。

このままでは、だめだ。

もっと実践と学びを深めて、頑張らないと。

野中先生、どこかで見といて下さい。

偏見には、自分なりのアプローチしていきます。
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