潮騒の詩(うた) 第7話 房総半島のシーバス①<岩井海岸・センズイの磯①>

11 プロ釣り師のプライド

 午後6時。
 畠山小太郎が「奄美屋」のドアを開け店内へ入ると、奥のテーブル席に2人の男が座っているのが見えた。
「いらっしゃい。お客様がお待ちですよ」
 マスターの川田良平が奥の2人に目をやりながら小太郎に告げる。
 カウンター席の横を通り抜けテーブル席のところまで行くと、2人はすでに立ちあがっていた。
「初めまして。お電話でお話しさせていただきました、NKテレビの小西です」
 差し出された名刺には、<NKテレビ制作部プロデューサー・小西和幸>と書かれていた。
 つづいてもう1人の男が名刺を差し出しながら、
「同じくNKテレビの林です」
 と、丁寧な口調で頭を下げた。
 名刺には、<NKテレビ制作部ディレクター・林正也>と書かれている。
 小太郎は2人に自分の名刺を渡しながら、
「わざわざ遠くまでお越しいただきありがとうございます。おまけにこんなにきたない店を指定してすみません」
 と言った。
 そこへ丁度やってきたマスターの川田が、口を尖らせながら、
「きたない店っていうのは、ちょっとひどいんじゃないか? せめてレトロな雰囲気の漂う店、とか言ってもらいたいものだね」
と小太郎に訴えた。
「なんだ、聞いていたのか。それじゃあ、レトロな雰囲気の漂う店ってことにしておこう」
「ありがとう、感謝するよ。で、飲み物は何にする?」
 小太郎は、テーブルを挟んで座った2人の顔を交互に見ながら、「生ビールでいいですか?」
と問いかけ、2人が頷いたのを確認してから、大きな声で、
「生ビールを三つ」
 と川田に告げた。
 
 興味深げに店内を見渡している2人に、
「そこにある水槽の中の魚は、全てマスターが自分で釣ってきた魚です。週に3日か4日は船釣りに行って、釣りあげた魚を生かしたまま運んできて水槽に入れているんです。だからこの店では、釣り人でなくとも釣りたての魚を食べることができるってことです。嬉しい店でしょう」
 と、小太郎が説明する。
 そこへ、注文した生ビールが運ばれてきた。
 3人はジョッキを持ちあげ、カチンとぶつけながら、
「よろしくお願いします」
 と言い、冷えたビールをのどに流し込んだ。
 一息ついたところで、プロデューサーの小西が話しはじめた。
「電話でお話しした、番組の件ですが、最近釣りがブームになっているのはご存じだとおもいます。そこで、我が局でも遅ればせながら釣りの番組をやろうということになりました。そこでいろいろ調べてみた結果、プロ釣り師の畠山小太郎さんにお願いするのがよいだろうということになったのです」
「それは光栄ですね。で、内容は?」
 小太郎が小西に問いかける。
「広告代理店の担当者たちを交えて話し合ったところ、本格的な釣りだけでは一般の人の興味を惹きつけることはできそうにない。そこで、畠山さんの得意とする磯のヒラスズキゲームに、素人代表として女性タレントにも同行してもらい、1から教えてもらう構成がいいだろう、ということで話がまとまりました」
「素人代表の女性タレントですか?」
「そう。若い女性タレントに楽しくやってもらえばきっと、視聴率が稼げるに違いない。釣り業界の底辺拡大にもつながるだろうから一石二鳥ってところじゃないですかね」
「その女性タレントというのは、釣りの経験がある人ですか?」
 怪訝そうな顔で、小太郎が聞く。
「いや、全くの素人です」
「釣りの経験がない女性タレントを、磯のヒラスズキ釣りに連れていくってことですか?」
「そういうことになります。やっていただけませんか」
「それは無理です。波にさらわれて死んでしまうかもしれませんよ」
 呆れた、というしぐさで小太郎が言う。
「そこを畠山さんに何とかしてもらおうってことなのですが……」
「無理です。ズブの素人を連れて、真冬のヒマラヤを目指すようなものです。不可能です」
 それまで黙って聞いていたディレクターの林が、2人の会話に口をはさむ。
「畠山さんのおっしゃることもよく分かりますが、プロデューサーの小西が言っているのは、一般の人にも釣りに興味を持ってもらうためには、素人を参加させて、擬似体験をしてもらうべきだろうということなのです」
「擬似体験ねぇ。素人のたどたどしい釣り姿を、だれが興味を持って観るのでしょう。素人の野球、素人のゴルフ、素人のサッカーと同じことじゃあないですか。そんな番組に興味をそそられる人がいるとは、僕にはおもえませんね」
 たとえ釣りに絡む仕事であろうと、小太郎は、本意でない内容の取材を一切受けないことにしている。
 それは、自分自身のためであるのはもちろんのこと、釣り業界の真の発展を願ってのことでもある。
 釣りの楽しさや奥深さを広く伝えるためには、本物の釣りを見せなければならないと感じているのだ。
「正直言って、僕はチャラチャラした女性タレントと一緒に、テレビ番組用の釣りをするつもりは微塵もありません。ましてや磯のヒラスズキ釣りには、だれにも負けないぐらい強いおもい入れがある。今回の企画の出演者として選んでいただいたのは嬉しい限りですが、僕には到底受けられない仕事のようですね」
 小太郎は、プロデューサーの小西の目をじっと見ながら、きっぱり言った。
「そうですか。それは残念ですね」
 プロデューサーの小西は吐き捨てるように言うと、一度、小太郎に冷たい視線を送ってからそっと席を立ち、ドアを開けて外へ出た。
 小西が居なくなると、林も小太郎に軽く会釈をしてから席を立ち、会計を済ませ、慌てて店を出ていった。

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舞台となっているのは、実際の釣り場。釣り場紹介と小説が合体した、新しいジャンルの「釣り小説」です。お楽しみください。