ビートたけしさんのコメント

THEMANZAIの収録日は2日間ある。メインの日程で合わせられないコンビが別日に収録する。だからビートたけしさんやナイナイさんがいる日とは別の日に撮影する。毎年僕らは別の日に収録していた。それは日本人の自分もいう意見の弱さを知っていたからだ。海外に行けばテレビに謎のワイプなんてのはない。

なぜワイプがあるのか聞いたことがある。それは視聴者はワイプの芸能人の顔を見て"答え合わせをするからだときいた。

"怖い映像が流れたらワイプの芸能人が不安な顔をすると不安なシーンだと強く思える。

食べ物を食べてるシーンではワイプの芸能人が「美味しそうな顔」をするとおいしいんだろうなと答え合わせをする。

学校で先生から答えを教えてもらうことで答えを書くことに安心を得ることに慣れてしまった人たちは「答えを教えてほしい」「思ってる答えに自信が欲しい」のだ。いまだってネットでたくさんの情報を知れる。それが嘘かもしれない本当かもしれない、その不安を安心に変えてくれるのは自分と同じ意見を持ったなにかしらの先生だとしてる人たちだ。意見に自信のない答え合わせ依存症患者達がこの国には多い。

僕がロサンゼルスの語学学校に行ってた時、宿題の答え合わせの時にサウジアラビアの青年が先生の答えに「違うと思います」といい出し先生と生徒のディベートが始まり、結果、それも答になった。

先生は「その視点はなかった、面白い答えね」と言って正解にした。その光景は「答え合わせ」ではなく「一緒に答えを考える時間」だった。

THEMANZAIという番組でのナイナイさんやビートたけしさんはそれだ。あの2組が笑っているとやっぱりそうなんだ、笑ってないと、やっぱりそうなんだ、と自分の答え合わせにできる。不安な日本人たちの答え合わせ役だ。

だから僕は、その答え合わせをさせず自分の判断で「面白い、面白くない」の答えを考えて欲しくて毎年、THEMANZAIは指標基準のいない彼らのいない日を選んでいた。

しかし今年のTHEMANZAIは初めて彼らの前でやることにした。その理由は"実験"だった。ビートたけしさんの発言を視聴者はどれだけ答え合わせに利用するのかを確認したかった。芸人の中でもたけしさんに気に入られようとやりたいネタではなくたけしさんの好きそうなネタをやる人たちもいる。あの場所は自分の好きなネタをやる場所なのに。芸人がそうなら視聴者もそんな人たちが多い。

いまの時代は便利だ。SNSでのコメントが彼らを可視化してくれる。僕のTHEMANZAIあとの楽しみはコメントから人の感情を読み取るのが好きだ、これはもう趣味の域だ。

ビートたけしさんの前でやるということは見てる人たちの意見にどう作用するのか、それはすごく日本人を観察する上で楽しみなことだった。そしてそれはとても面白い結果となった。

たけしさんは僕らの漫才を見た後の感想を「北千住にああいうやついたな」という面白例えをした。それに対して「ほらたけしさんはあれを漫才だとは認めてない」という意見や「そのあとにたけしさんは、いいね、といっていた」とか「たけしさんは、たけしさんは」とコメントがたけしさんを使って評価が始まった。

なぜ「僕は面白かった」「わたしは面白くなかった」だけでいいのにそこに誰かの言葉を用いる。前に友達とラーメン屋の話をした時に彼が「あのラーメン屋美味しいよな」と言ってきたので「おれは好きじゃないな」と返すと「なんでよ!EXILEもきたことあるんやで」と返してきた。二言目にそれかい、と思った。「みんなお前のこと嫌いやで」も同じだ。"わたしは"を"みんな"にすり替える。

僕はそれを聞いていていつも思う。意見に自信のない人たちは主語に「僕は」が消えている。"僕は"を消し"たけしは"にすり替えてもそれは所詮、虎の威を借る狐。虎に化ずに自分の言葉で自分の考えを述べれる人たちになって欲しい。






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