男女平等

日本は男女平等のまえにこの国は、国民は権威主義だから、権威を手に入れた途端に、また同じことが始まる。それは男女だからではない。

その年代の女がトップになったらパワハラセクハラが起こる。おれも女性のプロデューサー、女性の社長の部下へのセクシャルハラスメントの話はよく聞いてきたし目の前で見たこともある。

要は、年齢が上でも下でも権威なんてものを捨て去り、トップが森喜朗であろうと、橋本聖子であろうと、下が、いいと思うときは賛同し、おかしな時はノーを突きつける、それが許される風潮だろう。役職なんかは適材適所。森よりそこに、そこの仕事がふさわしいやつがやればいい。何度も言うけどおかしなことはおかしいと言えるシステムの改革だろう。吉本というところはご飯すら奢ってくれたことない人たちが先輩という傘の中で偉そうにする。いつも思う、問題を提起すると「誰に言ってるんだ!」と言われる。いつも思うのが、お前に言ってるんだと思う。誰に言ってるんだ、ではなく、何を言ってるんだのほうでないもいけない。何を言ってるんだ、それは違うだろう、そして、歳下も、それこそ何を言ってるんだ、こうだろう、の関係でないと。尊敬するしないは個人が思うことだ。反論しても尊敬してるは人は尊敬してる。表面的に男女平等にしても、それは違う負をうむ。

今回のことで「おれはあれぐらいいい思うけどな」という発言すら断罪される恐怖が蔓延すると男は演じだす。いまのおじさんたちにセクハラ発言をされて物が言えない、作り笑顔をする女達のように。リベラル白人のわざとらしい笑顔のように、裏での愚痴が強くはじまる。

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