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僕がTwitterと距離を置く理由〜僕とNew Yorkと時々ウーピーゴールドバーグ

誰かとやり取りをするTwitterはおれには怖い。ふつうに意見を言っているつもりでもいつのまにか怒りに取り憑かれてダークサイドに堕ちてる

あそこには戻ってこれなくなったダークサイドの人が沢山いる。

今回、Twitterと距離を置こうと思った理由は誰かと揉めたからとか会社に怒られたからとか、色んな事実が全くないことが言われてるので、言っておこうと。

ちなみに完全に辞めるとかではなくTwitterと距離をとってすこし休憩。

告知はするけど意見は言わない。

理由は、9月の初めから海外にきて約2ヶ月。相方に迷惑かけ会社にお願いして独演会楽しみにしてくれてるお客さんを待たせて、海外に来たかったのはこっちの空気をすって他の国を知って感じたことでネタを書くこと。

単純に家と劇場と同じ友達と飲むという毎日を繰り返すことで刺激がなく自分自身が止まってる気がしたので海外に自分自身をグチャグチャにしにきました。なぜグチャグチャにするか、それは壊れて治ってさらに強くなる筋肉のように、同じトレーニングでは伸び率は低くなり色んな刺激を与え続けないと、どんな天才も、登れる場所に限界がある、ロッククライミングと同じで同じところにいたらかならず少しずつ下がっていく。だからあの手この手で、次に掴む凸凹をさがさないといけない。そんなことで2ヶ月間の海外ふらり旅に。

ヨーロッパ、ニューヨークをまわり語学学校には行かず、朝から夜までカフェやBARにいってはノートを取り出してネタを書く。

だけどなぜかずっといいネタが書てなくて、時間と金と信頼を消費してるプレッシャーと、言葉の壁、笑いの質、などの色んな現実と、ネタを書けない自己嫌悪に、気がつけば集中力が切れてスマホを開き、SNSをみて、Twitterで、あーだ、こーだ、と怒ったりどーでもいいことを発信してしまい、そんな自分にまた悩み、それは日本にいるときからずっとあったけどニューヨークにきて、いよいよ爆発した感じで。

Twitterのいいところもあるけどおれのような仕事をしてて更に棲み分けができない不器用で幼稚な人間に危うくて。Twitterは「ある程度いい意味で適当な人」に向いてて、言いたいことが沢山あって、友達が少なくて感情的に寂しがりで自己肯定だけで生きてるような弱いおれのような人間はただの吐き出す場になってしまい、夜中にお酒を飲んで書いた渾身のツイートを朝見たときに「寝ゲロ」をみた気分になり、「公共の場所で酔いつぶれて寝てしまい、沢山のフォロワーの人たちの公然で寝ゲロを吐いた」そんな感じなのが僕のTwitterをやってる感覚。縛りがないのが危うくて、Twitterという自由でなんでも言えてるこの「自由」ってのがすごく怖い。「笑いをとるのもとらないのも自由に書ける」にもなっちゃう。

Instagramなら「写真を載せないといけない」これがないと言葉を載せれない。だから写真が苦手な僕は発信の量が減り、ネタに集中できる。

漫才やおれがいまやりたいスタンドアップコメディもそうだ。制約がある「なんでも好き勝手言っていいけど笑いがないとダメ」

この縛りは最高だ、言いたいことも言えるし、お客さんの笑ってる顔がみれるし、それで生活が出来る。そう考えたらおれのお笑いはアメリカ向きなんだと思う、日本ではお笑い芸人が政治発言をすると、マイナスに受け取る人がいる。それは芸人にもいる。だけど、政治の発言をする、のではなく、ただ怒ったものが政治的だっただけ、それが野球でもアニメでもいい。そして30過ぎたら政治ってのは特別なものじゃなく洋服の話するハードルと変わらない。前にロサンゼルスのお笑いの劇場の支配人が言っていたのが「うちの劇場に出すやつは何か言いたいことがあるやつだ」と。

笑わせるネタより言いたいこと。

言いたいってのは物申したい、それは怒りからくるもの。怒りのやり場、それが笑い。それがおれの笑いだと考えてる。

ただTwitterができて手軽に怒りを放出してしまうようになりいざ、お笑いのネタを作ろうとノートを開いたときに、何もでてこない、なぜならSNSで発散したのでもう怒りのバッテリーが残ってないから。

思えば漫才の大会で優勝したネタも去年テレビでやった政治的なネタも、その時の怒りを言葉にしてネタにした。その大事な怒りがほかに流れたら、ネタは「言いたいこと、の延長線上」から「沢山の人を笑わせるためのテクニックの延長線上」になって面白いけど翌日心に残らないものになる。政治でも野球でも恋愛でもなんでもいい、笑いをとるために話すんじゃなく、怒ったテーマがたまたま「それ」だっただけ。要は怒りをためて一本のマイクの前だけに放出することが大切。

そんな中、Twitterをひらけば誰かに怒り、怒りに取り憑かれ、スマホと睨めっこ。その間にどんなに沢山のきれいな海外の街並みや、行き交う魅力的な人たちを見逃してるか。

特にいま海外に来て満足な芸もできてないのに、おれはなにやってんだ、と。

だからおれは炎上してSNSから逃げたという人もいるが、おれからするとずっとネタを生む苦しみから逃れるために「ネットの中に逃げてたんだ」と。いつからここをステージとする表現者になったんだ、と。

ロンドンにウーピーゴールドバーグのスタンドアップコメディを観に行ってきた。

ウーピーゴールドバーグ は「天使にラブソングを」という映画に出てた女優で、彼女はコメディアンで、名前は芸名で、ウーピーというのは下ネタでゴールドバーグはユダヤ系の名前で、あえて、そういう挑発的な名前にしたと人から聞いたことがある。そんな彼女にずっと興味があった。

彼女のスタンドアップコメディのライブがあると聞きき、興奮し、大して英語も理解できないのに、ロンドン行きの飛行機をとってライブの最前列のチケットを買って観に行った。

満席の会場は何千人という満席の大会場。劇場の中にはBARがあり、お客さんがそれぞれ、そこでアルコールを買い、それを片手にショーを観る。

まず無名の前説の女のコメディアンが登場して、20分ぐらい前説をやった。会場は信じられないぐらいの爆笑の嵐。彼女の空気感に僕は一瞬でその前説の人に圧倒的に負けたと思った。

そして驚いたのは、前説が終わり、30分休憩が入る。日本なら「それではどうぞ」と言って前説が温めて、すぐ主役を呼び込む。まさかここで30分の休憩?!と驚いた。またほかのお客さんはトイレに行ったりドリンクを買いに行ったり。

そしていよいよウーピーゴールドバーグ が登場する。更に驚いたのは、なんの派手な演出もなく、出囃子もなく、普通にウーピーがマイク片手に無音の中、白シャツ、細身のデニムでマイクを持ってきて普通に話し始めた(ちなみに僕の月一のルミネの毎月の独演会は、しゃれたピンスポットとエミネムの曲を流しワイン片手に出てくる。そんな自分が恥ずかしくなった)

彼女が話し始めて数秒で彼女の一言で会場の大人たちがのたうちまわるぐらいの大爆笑。さっきの前説の凄かった女芸人の作った空気を一瞬にしてかっさらった。

淡々と爆笑を起こし、始まりから1時間が経過したぐらいでウーピーゴールドバーグ は、お客さんからの質問に答え始めた。ウーピーと話したいというお客さんが次々、手をあげる。

気付いたら僕は人生で出したことのないような大声をあげながらイスから立ち上がって、まるでイオンモールなどの営業で、質問ある人?と言った時の、最前列の元気に手を上げてくる小学生のように、満席の大会場に響き渡る声で「はい!!!!はい!はい!!!はーーーーーい!!!!はい!ウーピー!!はい!はーーい!!」さすがにウーピーは気付いて「わかった!わかったから!なに!笑」と言って当ててくれた。

いま目の前にウーピーゴールドバーグ がいる。

僕はとっさに「僕は37歳です!!英語は子供レベルです!でも夢があります!世界中を笑わせるスタンドアップコメディアンになりたいんです。なれますか!?」てなんとも幼稚な質問をした。

そしたらウーピーゴールドバーグ はこう言った「英語を勉強しなさい、そして世界をまわり、そこに住む人たちを知りなさい、そしたらきっとなれる、あなたがそうなる日をわたしは楽しみに待ってます」と。

その夜は、ホテルに戻らず、小雨のふる寒いロンドンの街を、傘ささずずっと、ひとりでずっと歩いてました。あの時のウーピーの言葉とあの帰り道のロンドンの街はずっと忘れない

そんなウーピーをみて改めて思った。

どうせ何かに怒るなら、どうせ誰かに怒られるならTwitterじゃなく、マイクの前で。どうせかっこつけるなら、どうせダサい姿晒すならTwitterじゃなくマイクの前で。どうせ正しいことを言うなら、どうせ間違ったことを言うならTwitterじゃなくマイクの前で。どうせ誰かに褒められるなら、どうせ誰かに貶されるなら、Twitterじゃなくマイクの前で言った作品で。

2週間後、日本に戻ります。

新宿ルミネ、名古屋、広島、札幌、etc.独演会します。色々言いましたが、SNSから逃げる、逃げない、好きに思ってください。ちゃんと笑い芸人として形にして、おみせします。

最後に、ウーピーゴールドバーグを見た時、ほんとに胸が高鳴って興奮して足をバタバタさせた。

好きなアイドルに会えた時の女の子ってこんななんだ、と。

いい歳してなにやってんだ、と思う人もいるかもしれないしそんな声もあるかもしれない

おれは思うのが、人は自分のことをまだまだ青春真っ只中の少年とみるかお年寄りとみるか、だと思う。

以前、ニュースで、90歳のメキシコのおばあちゃんがこの歳で勉強を始めて高校に合格して「わたしの将来の夢は保育園の先生になること」と言ってたのをみました。僕も37歳で英語を始めましたが、いつも自分を子供だと思ってて毎日自分の将来が楽しみです。でも、たまに20でも「もうおれたち20だから」と自分をもう終わっていく年寄りのように落ち着いたことを言ってる人や、挑戦してる誰かを羨ましいと思った時、自分は後ろ向きな年寄りのほうなんだ、と思った方がいい、な、と。

かっこつけるなら独演会でって、言ってるそばからブログでかっこつけちゃった。

是非醜い姿もお見せするので独演会へ。

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