悪いことをしない 自分じゃなく他者が基準



警察官がいるから悪いことをしないのか?だとしたら警察官いるいない関係なく悪いことをしない人でありたい。名古屋の駅を歩いてた、セクシーな足をしてる女が前を歩いてた。近くに警察官がいた。僕はセクシーな女性をどうこうしたいなんて思わないんだけど、その時はただセクシーだな、ぐらいの感覚。でも"もし"ここで彼女を襲うとしたら、僕は一体何を考えるだろうと思った。その時にその警察官をみて、やめるだろうなと思った。その時に僕は警察官がいないと、物を盗んだり、人を殺したりするのか?と思った。僕は誰かに見られてることを考えた。いつでもテメェを裁くからよ?って法律がおれをみてないと、おれは悪さをするのかと考えた。あ、でも僕は法律を把握してない。もちろん、全て把握してる人なんか少ない。だから、自分のする行動の何が、アウトなのかを、相手に委ねる。相手ってのは警察官、裁判官、ね。(いまはモラルとかって話は別で)そして、そのおそらく"常識的にこれはダメだろう"で考えるんだけど、常識ってのはあくまでも自分が主体だから、とりあえず自分の感覚を信じてこれが常識だと思い込んでる物差しで、やっていいこと悪いことを考える。そしてそれをなるべくやめようとする。

あ、あと、おれは物を盗まない、それはおれは親の悲しむことをしないと決めてる。

親が自分を咎める基準。でも、親がいるから、悪いことをしない、とか、警察がいるから悪いことをしないとか。おかしなことだ。親がいなければ悪いことをできる?いや、また違う誰かのために悪いことをしないように、と思うんだけど、嫌なことをされた側の被害者の側には立てない。それは他人だから、何が嫌なことかわからない。自分の常識を物差しにしても、相手が嫌なことと自分の嫌なことは違うから。子供の頃に相手の嫌がることをしないと教わった。でも、相手がわからなくなってきてる。女の嫌なこと、男の嫌なこと、ゲイの嫌なこと、でも、そこには誰がいるのかわからない。僕は誰目も気にせず、目の前の人に優しくありたい。カメラがあるから物を盗まない人間にはなりたくない。

ダメだ、疲れた終わり!

追伸
友達とみんなで飲んでる時にある人が「全ては今なんだよ」と言った。ビートルズのyesterdayをかけてたのは彼。いまなのにyesterdayかよ、と思ったんだけどこの曲を聴いてるのはいまだよな、と、そんな当たり前のことを、鈴鹿サーキットの車のように猛スピードでぐるぐる回ってる。

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