差別?

黒人と日本人のハーフのバスケットボール選手のダイレクトメールに人種差別的な「クロンボが」という批判があって、それを公開して、「日本に人種差別はある」とコメントし、ネットニュースになっていた。悪口を何年も言われ続けてる大ベテランの僕が考えるに、不快だと思う人間に対して、それを相手に伝えるために、一生懸命、傷つきそうなことを相手の中から探したりする。例えば僕は無知な発言をした時に、不快だとする、その時に、おれが、中卒だということをネットの何かで知るとする、すると、不快だと思う人間はそれに手をつける。「中卒のくせに」と。例えば芸人や芸能人のことを河原乞食と馬鹿にする人たちもいる。江戸時代に、京都の四条河原で、興行をやったことから、河原乞食という馬鹿にする言葉が生まれ、それをいまの芸能人たちを馬鹿にする時に、どうせお前らは元々、河原乞食だろ、と、貶す時に使う人たちもいる。それはそれをいうひとたちが、河原乞食わ中卒というのがネガティヴワードとして使われてると知っているからそれを使う。自分自身もそれがネガティヴワードと思ってるから、それに対して、怒ったり、悲しんだり。友達が面白いことを言っていた。その人が子供の頃、海外に留学してた時、その留学先の街はとても田舎の街で日本人はその人しかいなかった。だから珍しかったのか、同級生の友達から「鮨」というあだ名で呼ばれていた。「ヘイ!鮨!」と。その同級生は日本のことをあまり知らず、知ってる日本のことが、鮨だけだったのかも知らない。例えば日本にいる韓国人の子供に"キムチ"というとこれは差別になるのか、どうなのか、言うほうも、言われる方も、それが"差別だ"と教えられなかったら、ネガティヴなワードだとも、ポジティブなワードだとも、誰にも教えられなかったら、ただの友達同士の、呼び名でしかない。なぜそれを思ったのかというと、その友達はその"鮨"はその時、嫌な気持ちにはならなかったという。大人になってから、いろんな人たちが、あれは差別だよ、と言ってくると、え、それって差別なの?腹立つ、と怒りになる。それが差別だと誰かが、その時の相手の心や状況も知らないのに"差別認定"する。そう言えば、ある友達が片親で、それが普通で、それに対して、いろんな人たちが、可哀想だね、頑張ってるね、と、声をかけてくることに対して、当時は、これが自分の普通だから別に可哀想とか、ないんだけどな、と思っていたのに、何度も何度もその言葉を言われると、いつの間にか、わたしは可哀想なんだ、に変わっていく、と言ってた。それを、教えられる。まあ俺にとって、差別ってのは権利の平等であり、中卒のくせに、河原乞食とかってのは
ただ、俺がその人にとって不快だったから、俺の中から、一生懸命頑張って傷つけれるかもしれない言葉を、探してきたんだな、としか思わない。

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