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ファーストフードは好まれる

大学で講義を頼まれてしてきた。その中で大学生からの質問で、日本のお笑いを世界に輸出したいと言っていた。おれは咄嗟に、バラエティ番組なんかみても日本のお笑いは、ブスキャラを作ったやつにブスいじりをし、あくまでも作ってるやつに安心して話を振れる、その中でやってるから小さな身内ノリサークルでしかない、と言った。彼女は、いや落語とか、と言った。あ、落語ね、とおれは思った。けど、おれはなんとなく答えたけどあれは答えになってない。答えはおれは流行らせる、広げる、ウケる、とかに関してはあまり関心がないからおれの答えはおれにはわからない。そう考えた時、おれが発言する理由は、金、知名度、ウケる、とかではなく、衝動なんだ、と再確認できた。衝動で絵を描く、衝動で踊る、歌う、だからおれも衝動で表現をしたい。

話は変わるけどおれの漫才はテレビと舞台では見え方がちがう、さらに言えば、独演会と漫才でも見え方が違う。子供会ならお菓子を出すだろう、と思い込めば、そこに、急に産地や生産者の名前顔が書かれたステーキが出されたら戸惑うだろう。おれのTHEMANZAIの漫才はそれだ。まさかここで沖縄の基地、原発というワードが出てきたら戸惑う。慣れてない彼らは、頭の中にある一番手前の引き出しを開ける。それは一番知ってて一番それらしいもの、だ。だから彼らは、あれは漫才じゃない、笑えないからだめだ、と限りなく主観で話す。そもそもツイッターが主観至上主義の巣窟になってるからそれはしょうがない。描くことの最初は誰しも感情であり、それは主観がでてくる。しかしそれはあくまでも引き出しの一番手前だということはわかっとくべきだ。わかるとわからないでは話が変わってくる。

前にSNSで、〇〇というコンビの〇〇さん天才、咄嗟に〇〇という答えを思いつくなんて、とあった。おれは疑問に思った、それ漫才なら思いつくけど捨てるもの。しかし、それをすごいというのはあくまでも咄嗟に、すぐに、そう答えれる彼はすごい、であって、速さだ。ファーストフード現象。手間暇より早くてうまい。それがお笑いも食べ物も先行しすぎてるような気がする。だからフリが長くヘビーなものは異物になり吐き出す。味がわからないから、ワイプにうつる芸能人の表情で、いいものか悪いものか判断してもらうバロメーターにしている。

いつでも用意周到に吐き出したものは相手の心を掴む。おれの理想は漫才が終わってからもずっと誰かが賛否両論言う漫才だ。誰かの快感になれば誰かの不快になる。たとえば、世界一有名な人がこれからは野菜の時代だーと声をあげたら、肉や魚で仕事してる人たちは不安になる。しかし菜食主義者は安心をする。誰かの劇薬は誰かの毒薬だ。安心する人、悶え苦しみ怒る人。それが表現だと思う。もちろんそれに怒るのも自由。

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