漫才で廃棄社会を描きたかった



一年以上前だったか、僕は最寄りの駅からタクシーに乗った。行き先を伝えると運転手の初老のおじいさんがこう言った。「わたしお客さん乗せるの三回目なんですよ」と。彼は僕が芸人とは知らない感じだった。僕は彼に「次4回目ありますかねー笑」と言った。彼はすこし気まずそうにこう言った「私今月で、辞めることになったんです、というか、やめないといけなくて、いまコロナでしょ、なかなかお客さんがいなくて、会社も大変で」と。たしかに、コロナ禍の街には人気は全くなかったが、タクシーは沢山走っていた。

あの頃、沢山のタクシーの運転手が首を切られた。車内は重苦しい空気になったのですこし、空気を変えようと、僕が運転手の彼に「次は何するんですか?」というと、すでにいろんな会社の面接を受けてるんですが、この歳なのでなかなか、どこもとってくれなくて、遅くにできた子供もいて、息子の学費もあるので、働かないといけないんですけど、まあむずかしいですよね」と。

コロナはで追い詰められた会社は立場の弱い人たちから順番に切っていく。非正規雇用、アルバイト、外国人etc.。そんな中、この国はオリンピックが行われた、そこでこの国は4000色のお弁当を発注ミスして、全部廃棄した。それと同じタイミングで、オリンピックの海外の選手が日本で難民申請を出したいというニュースを見た。僕は、海外ではオリンピックの選手でもご飯が食べられない、生活ができない、生活が保障されていない、不安定な国が沢山あるということを知った。いや、前から知識としては知っていたけど、実感として、知った。

その時、僕はお弁当が沢山廃棄される国を、難民申請を出してこの国で働きたいという、オリンピックの選手達はどう思ってるんだろう、と思った。4,000食を捨てれるぐらいの豊かな国だと思ったのか、4000色を平気で捨ててしまえるような、なにかが、かけてる国民なのか。僕は思った、ちょっと待て、この国は豊かな国なのに、先進国で一番、若者の自殺が多い国じゃないか。なにかが、貧しい、なにだろう。

自分の中で一つの答えが出た。個人が尊重されないんだ。オリンピックとコロナで知ったこと、それは、人が、物のように捨てられていく。弁当のように廃棄されていく。あのタクシーの運転手のように、オリンピックの演出を任されてたミュージシャンの小山田圭吾は過去のインタビューをほじくり出され、廃棄された、ラーメンズの小林賢太郎も。吉本もそうだ、宮迫さんや極楽とんぼの加藤さん、キングコング西野も。

この国には"もったいない"という言葉がある。だけど、そんな言葉があるのに、自分たちにリスクがあるかもしれないものは、物のように廃棄する。宮迫さんも加藤さんも西野もおれよりも遥かに吉本に貢献し、すごくお金を運んでくる。しかし、会社は廃棄した。僕は"もったいない"と思った。この人を物のように、あの4,000食の弁当のように、人間を廃棄する社会を、漫才にしようと思った。そしてフジテレビのTHEMANZAIというテレビで披露することにした。

その中で「宮迫弁当も廃棄された、極楽とんぼの加藤弁当も契約を切られてた、キングコングの西野弁当は自分からゴミ箱に飛び込んだ」というくだりを作った。それに対して西野が反応して、いまおれがいる場所はゴミ箱か、と"ゴミ箱に反応してラジオで言ってたらしい。彼の居場所は素晴らしい場所だ、彼は常に自由にやって、とても見ていて気持ちがいい生き方をしてる、しかし、ゴミ箱にだけ過剰に反応した気がした。たしかに西野の絵本は希望を描く。ぼくはコメディで絶望を描く。だから西野の視点で「ゴミ箱に飛び込んだ」というくだりは「おれのいる場所はゴミ箱か?」と反応するのもわかる。しかしそれは西野の目線のストーリーであって、僕はこのネタを通して、廃棄する側の悪を描きたかった。夏場に弁当を捨てないと食あたりを下すかもしれない、から捨てる、かのように、ラーメンズの小林賢太郎や小山田圭吾を"いま捨てなければ"オリンピックのイメージが、オリンピックの委員会のイメージが、さらに落ちてしまう、ことへの不安から、廃棄したように見えた。そして、あの時のコロナ禍で、仕事を失う高齢のタクシーの運転手を思い出し、ネタを作った。「捨てられる」ということがテーマだ。

そして、もう一つのテーマは若者の自殺率だ。子供達はこれを読んでる大人達と違って理不尽なことへ「理由を探す」のが得意ではない。大人は理由を探し、自分の怒りを収めるために、納得させる。「しょうがないよな、だって…」という言葉を、使う。しょうがないよな、だって、わたし、女だし、だっておれ高卒だし、中卒だし…。と。しかし子供には、消化しきれない。いまも子供は学校で黙食をさせられてる。彼らは学校の帰り道、居酒屋で酒を飲みワーワー話してる大人達を見て、何を思うんだろう、運動会はできずオリンピックはできる、それをみてどう思うんだろう。大人のように(仮)の、納得はできない。この理不尽な世界をどう思ってるんだろう。若者の自殺に「自ら自分の命を落とすなんて、辛かったのね」という人たちがいるが、子供が自分の命を経つってことは、ひとりひとりが、空気を、社会を作ってる、殺してるんだ。彼らは自ら命を落としたのではない、落とされたんだ。この世界に絶望し。旭川の学生の女の子は、雪の中で自分の命を捨てた。いや捨てさせられた。自らの命を廃棄するような社会を作ったのは誰?この国はおかしい。個人が尊重されていない。

今日も誰かがどこかでなにかを廃棄されている。そんなことは知ってるはずなのに、見てみぬふりし続けることは、自分が廃棄される番になったときに、助けを求めても、お前がそのルールを黙認という形で認めてきたんだろ、と言われてしまうよ。黙ってることは、黙認という形で認めてるも同じ。廃棄社会を認めてるということは、自分もいつか廃棄されるということを認することになる。おれたちは一億三千万個の夏の弁当だ。

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