見出し画像

沖縄のカレー屋さん


3年半前、僕が深夜の生放送をやっていた時、放送中に、当時、ネットニュースの記者が適当なことばかり書いてるから、直接、ネットニュースの記者に電話で、公開説教した、彼は本当は"新聞記者になる夢があったけど自分には実力がなく、ネットニュースの記者をやってる"と言うので、だったらおれが、新聞記者を紹介してやるから、面接受けろ、といい、翌週彼は面接に合格し、新聞記者の夢を叶える、という番組をやった。終わりで、視聴者たちは大号泣の大感動で、最高のフィナーレ迎えた。しかし、実は、それは僕が用意した盛大なヤらせで、その電話の主は後輩の芸人で、最終回にネタバラシして「お前らは、こんなことに騙されるなんて、ネットニュースの記事ばかり信じてるんだろう」と最後は視聴者に、説教すると言う内容だ。その時に、遠く、沖縄でその番組をみてた男がいて、その男は「あのネットニュースの記者の人が新聞記者になれるんなら、おれだって、カレー屋になってやる」と、感動していたらしく、でもそれが、嘘だったとわかり、激昂し、悔しくて、だったらおれは絶対にカレー屋になってやる」と誓った男いた。その男は沖縄の那覇で、カレーを作るたけちゃん。たけちゃんは、ずっとカレーを作り続け、三年半の時を経て、とうとう自分の店を開いた。コロナ禍になる前から、おれの店をもったら、ここでライブをやってほしいと言うので、おれは、彼が店をやるのを楽しみに待っていた。そして、店を開いた。39歳の彼はおれの一つ年下、結婚もしてて小さな子供もいる。その彼が、多額の借金をし、カレー屋をやった。彼はミュージシャンもやっていてギターも弾ける。真面目な男で、おれが、沖縄の基地をネタにしたら、なんでおれは沖縄なのに、基地の歌もないんだろう、こんなに、悔しいのに、と、基地の歌を作って歌った。おれの友達に平松さんておじさんがいて、彼は癌だ。それを彼に話したら、平松さんの歌も作って歌ってくれた。平松さんも、名古屋から沖縄に駆けつけて、たけちゃんの店を祝いに来てくれた。その夜は沖縄の人たちと、たけちゃんのカレーを食べ、独演会をした。そして最後にたけちゃんが、平松さんの歌を、平松さんの前で歌った。そして、おれが、リクエストしたおれの歌を作って歌ってくれた。それは、二人の出会いの話を、歌った、ネットニュースの記者が新聞記者になった、というあなたの嘘から始まったこのカレー屋、おれは、夢を叶えた、あなたは、もうすぐ、アメリカに行く、次はあなたが夢を叶える番だ、もう嘘はつかないでね、というような歌詞だった。三年半越しに、次は、おれが彼の背中を追いかけることになった。おれは彼に聞いた、そんなに借金をして、家族いて、カレー屋で、それ返せる計算はできてるの?と、彼はこう言った。あ、そこまで考えてないです、と、なるようになると思うんで、と。それを聞いて、コロナだから、アメリカの文化を学ばないとな、英語できないけど、大丈夫かな、という、不安は、どうでも良くなった。やりたいから、やる、あとは、なんとかなる、と。この時期に沖縄に行くのは、正直不安だった。行く前に、たけちゃんに、どう思う?って聞いたら、僕ニュース見ないからわからないです、こんなに空は青いです、と返事が来た。そのことを、たけちゃんに聞いたら、ニュースは僕は見ないです、不安にさせようとしてくる、と。僕らは、ニュースをみて、不安に振り回され、日本中、世界中が緊張感でいっぱいだ。緊張した人は不安から誰かを攻撃し、コロナではなく人と人が、余裕がなくなり、喧嘩をしあってる。たけちゃんのような、青い空を見て、なにかに、囚われない、自由な生き方は、今の僕らには必要なんじゃないのかと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?