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漫才に思想を持ち込むということ

たまに漫才に思想を持ち込むなと言われる。しかしながら人間は誰しも思想を持っている。そして誰しもが自分を基準に考えてる以上、逆にいる誰かからみれば思想は偏ってる。思想とはなにも政治や社会問題だけの話ではない。ネットで「思想とは」を検索したら「心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方」だ。

だなら思想は誰しもが持っている。それが人間だ。思想を持たないものは逆を言えばただの人形で、それがない漫才はただの人形劇だ。THEMANZAIでおれが叩かれたのはテレビをつけて人畜無害の人形劇をみにきたつもりがそこに人間がいたから驚いたんだろう。

お前らはテレビに出てるタレントを人形じゃないことは知ってる。だけど人形だと思い込みたいんだ。それはタレントがテレビで「見せる用のプライバシー」しか晒さず、キャラクターを作り上げ、そのイメージで金儲けをし過ぎたから、もう観客がテレビの中をファンタジーを見る目で見てしまうようになった。だからたまに芸能人が「おれ以外と吉野家いきますよ」とかバカなこと言って「えー以外ーイメージと違うー親近感わいてより一層ファンになったー」お金チャリーン。のように。

しかしどんなに着ぐるみを着てバカみたいに手を振っても、週刊誌で、着ぐるみの中のおじさんが観てる側と同じように不倫もするし、飲酒運転もする、リアルだってことが、スッパ抜かれるし、観てる人もそんなことはなんとなくわかってるはずだ。

わかってるけどいちいち見せてくんな、わざわざ言ってくんな、わたしたちの好みの人形であってくれ、と思ってる。女性アイドルが好きな年配男性が黒髪で処女を求めるやつがいると聞いた。年配の女性が40過ぎの独身おじさんアイドルに、彼は恋愛をしない、そんな人ではない、と、こうであってくれ、と押し付けて、あの時のそのキャラクターの着ぐるみをボロボロになっても無理やり着せる。彼らもそこの客が生活を支えてくれるから、その臭くてボロボロの着ぐるみを必死に着続ける。そんな客とそんな人形が、舐め合ってるような人形劇がメジャーな国だ。そら、人形の目がギョロっと動けば発狂するよ。

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