え?私可哀想な人だったの?

何年か前に、ステージで癌のネタをした。友達が癌になったのでそれをネタにした。普段二人で話してるネタで、あまりに笑えたから、舞台でやった。そのとき、お客さんは結構笑ってた。後でお客さんからメッセージが。

「一緒にライブに行った友達が癌でした、あのネタは笑えなかった、友達のことを見れなかった」ときた。まず僕は癌であろうとなんであろうと、人のことを憐んでない、可哀想とも気の毒とも思わない。

僕ならそう思われたら嫌だからだ。例えば、片親の子供はどうだろう、可哀想なのかね?

僕の友達がお母さんしかいなくて、よく子供の頃からまわりに「お母さんしかいないのに頑張ってるねえ」と言われる、しかし彼は「おれはお母さんしかいないのが普通で、別に頑張ってもないし、可哀想でもない、これがおれの普通」と言う。片親だからって大変てのは誰が決めた?

ネットニュースでは無理矢理、シングルマザーは旦那という存在が足りない可哀想な存在のようにうつすけど、人によるだろう。両親がいても暴力を振るう両親もいれば片親でも二人分以上の愛をもらってる人もいる。

あなたなら、いやだろ、孫正義に"君給料これぐらいしかもらってないの?可哀想」て言われたら。"わたしはこの給料で楽しく暮らしてます"って思うだろう。価値は他人が決めるのではなく自分が決めるもの。

しかしそのお母さんしかいない彼は言った。言葉とは呪いのように何度もいろんな人たちから"お父さんいないの?可哀想に"と言われ続けるといつのまにか「でしょ、お父さんのいないおれは可哀想なやつなんですよ」とそう思ってくると言ってた。彼は普通に暮らしてたのにまわりに自分は可哀想なやつだと思わされた。

癌のネタをして癌の友達に気を使うと彼はおれは"触れちゃダメなやつなんだ"みんなと違って哀れなやつなんだ"と思ってしまうから。

気の毒な人ね、と言うがその言葉を発して本人に"わたしは可哀想な人間なんだ"と思い込ませ毒を注入してんのはお前だからな。と。

「自分をネガティヴにする言葉は信用するな」と外国のALS患者と言われる人がスピーチで言ってた。彼はスピーチで「わたしが生まれたときに、医者から、この子は長くない、と言われた。しかしそれから何十年か経ち、僕は生きてる、そして、それを言った医者が先に死んだ。そしてわたしはいま医者をやってる」と言ってた。その言葉を信じてたらネガティブな気持ちになり心が疲弊する人生を送ってた。

毒になる考えなんかいれなくていい。そんな人の言葉なんか無視すりゃいい。

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