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違和感を当たり前にし犠牲を当たり前に

僕らは違和感に対して当たり前になりまたそこに違和感を追加するけどそれもまた当たり前になる。子供の頃、最初に動物園を見た時、それが野生の動物をアフリカなんかでみていたら、動物園に対して違和感を持ち、お父さんやお母さんと一緒にいたかっただろうな、と、水族館のイルカをみてもそう思うだろう。

いつから、水族館のイワシの群れをただ綺麗なものとして、動物園の動物たちをただ可愛いものとしてみるようになったんだろう。ワイドショーでは芸能人たちの私生活が捕まえられてきた動物をみるようにおれの目に映る時がある。おれたちが最初にワイドショーの不倫ニュースをみたらどう思ったんだろう。テレビでたくさんの人たちが見てる中、バッシングされてる人たちをみてどう思うんだろう。

なにも思わない人はいない、なにも思わず、相手を殴りたい、いや、殴りたい人を探している。殴るのは爽快だ。バッティングセンターなんかストレス溜まってる大人は大好きだ。もし、子供の頃にボールがお話をする童話をみていたら、バッティングセンターをみると怖くて震えるかもしれない。ボールはしゃべらない、なんならボールは打たれることが楽しいんだよ、と思い込めば、思いっきりボールを打てる。

それと同じように、不倫してる芸能人をバッシングというバットでフルスイングする理由として、いや、自分自身の暴力の正当化として、いや、自分自身を許す言葉として、彼らは芸能人、イメージで仕事してる、有名税、消費者に迷惑をかけてる、などの言葉を持ち出し、自身の暴力を肯定する。

動物園の動物たちを連れてきてここで檻に入れるには理由があるんだよ、彼らから、世界にはこんなにたくさんの動物がいるんだよ、ということを教えてもらえるんだよ。動物を食べるのも理由があるんだよ、命を繋ぐんだよ、ワイドショーで不倫をした芸能人は叩いてあげないと、奥さんがかわいそうだなんだよ、また次ほかの芸能人がやらないように、やったらこうなるということを見せしめとしてやらないとダメなんだよ、という。

でも、動物園に行く人も、ワイドショーをニヤニヤみる人も、レストランでステーキを食べる人もそんなことは思わない。「ただの娯楽」だ。だから僕は動物園も水族館も嫌いだ。そう考えたらいけなくなった。前に知り合いの女の子とある有名なレストランでステーキを食べた、彼女は食べれもしないのに大きめのステーキを頼んでやはり残した。そして最後に、罪悪感を感じる、と言った。なにに?と聞いたら、ダイエットをしてるのに食べちゃったから、と。

俺が週刊文春の嫌いな芸能人5位だった。お前らの方がよっぽど最低人間なのになっ。

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