多目的トイレと言う記事に注意書きを補足する

「多目的トイレ」という記事を書いた。

内容は簡単にいうと「友達に3歳の娘がいて友達が手が塞がってるからおれがその子をトイレに連れて行った、女子トイレには入れないし男子にも連れて行きにくいので多目的トイレを使った、中に中年男性がずっと入っていてその女の子は外でずっと我慢してた、多目的トイレは必要な人に行き届くようにしないといけない、とアンジャッシュ渡部さんの記事をみて自分が実感した多目的トイレの大切さ」を書いた。

するとその記事が炎上してると聞いた。調べてみると「3歳の娘を他の男性にトイレに連れて行かせるなんてひどい母親だ」というような批判だった。

なぜ漂白剤の注意書きに「※飲み物ではありません」と書くのか、洗濯をする時に使う液体にそれを書く理由は「洗濯をした経験がない」小さな子供が「飲み物と勘違いする可能性」があるからだ。

おもちゃの部品に※誤って口に入れないでください、と書かれてる。赤ちゃんが間違えて口に入れる可能性があるからだ。

バラエティ番組で食べ物を使って笑いをとるときも※スタッフが責任を持っていただきます、みたいな注意書きがテロップではいるようになった。それは視聴者にバラエティの意図を汲み取れない人たちがいるからだ。笑いを取るために使う食べ物を「食べ物もったいない」の視点でみる。

その注意書きさえ書いとけば顔面ケーキに対しても「それならいいよ」とクレームが減る。よく考えたらそんなぐちゃぐちゃになったケーキをスタッフに食べさせる時点でパワハラだと思う人もおおいかもしれないから、だったらもうこの企画をやめておこう、となる。

映画の仕事をした時に知り合ったスタッフが最近では映画のシーンで銀行強盗が車で逃走するシーンにもシートベルトをしないといけなくなってると言っていた。スポンサーが敏感なんだと、それはクレームだ。「シートベルトをしなくてもいい」と思う人が出てくるかもしれない、という。シートベルトのまえに強盗してるからね、と思うんだけど。

コロナで自粛期間中にInstagramには食べ物の写真を載せる人が多かった。必要以上に※過去の写真です アピール。あれも「ここのこのハンバーグおいしいです」でいいのにあれを外出してるととらえる人のためにわざわざ注意書きを添えないといけない。

アダルトDVDだってそうだ。あんなセックスはポルノの世界だけの話だ。ニュージーランドで面白いCMがあった、ポルノ俳優がある自宅を訪れてお母さんに「あなたの子供が私たちにアクセスしています」というCMだ。子供がスマホからアダルトサイトに入ってしまうということが頻繁に起きていて、それを注意喚起するCMなんだけどその後半に、「普段私たちはあんなセックスはしない、あれはポルノの世界だけよ」と現実とポルノの違いを教える。その理由はリアルなセックスのまえにポルノから入ってしまい、ポルノみたいなセックスを、セックスだと思い、彼女ができた時にそれをしてしまう子供が多いからそれに対しての注意みたいなことも言っている。

注意書きをしてあげないといけないのは経験値の少ない人たちのためにしてあげないといけない。わざわざ書いてあげないといけない。「一部だけをみて思考停止して瞬発的にそれを判断してしまう人たちのために」

まえにスタバでコーヒーを飲んでスリーブに名前を書いてもらったことをInstagramで書いた時に「あなたスターバックスがどういう会社か知ってるんですか?彼らはモンサント社と遺伝子組み換えの…」「スターバックスのような大企業は貧しいコーヒー豆農家から安くて買いたたき…」などというコメントがくる。この文章の意図は「名前を書いてくれたよ」ってことだ。

しかしそれを自分の論点に落とし込み批判してくる。今後スタバのことをツイートする時は※普段はフェアトレードで買った豆を使っています※スタバのコーヒーは好きですが遺伝子組み換えに関しては表記するべきだと思います と注意書きが必要だ。

友達がInstagramにコスパの良いステーキレストランの写真をあげたら「南極のペンギンは…」とコメントがきた。彼の伝えたいことはこのステーキ店のコスパの話だ。

牛のゲップで二酸化炭素を出して地球温暖化の話をしていない。他人の文章に乗っかってきて意図をすり替え、自分の伝えたいことを伝えようとしてくるやつ。彼らのために今後ステーキのツイートをする時は※地球温暖化のことも考えています※グレタちゃんの本買いましたと注意書きが必要だ。犬欲しいーと書くときも※ペットショップではなくブリーダーから買い取ろうと思ってます※保護犬も検討してます と書いてあげないといけない。プロレスの中継も※この二人はちゃんと練習した上で技を掛け合ってます※帰りのバスは同じです バラエティ番組でブスとかハゲと罵り合ってるタレントたちが映ると※この二人はプライベートでもこんな感じで仲良しです※スタッフがこの流れでお願いしますと打ち合わせで促されてます

だからおれも「多目的トイレ」の記事には3歳の友達の子供の女の子を多目的トイレに連れて行った記事も※この3歳の女の子は友達の女性で毎日のように一緒に遊んだ家族の子供です。この娘は僕のことをパパと呼んでくれて本当の親子のように仲良くなりました、この女の子は普段人見知りが激しいらしいんですが、毎日のように一緒に遊んでいたら心を許してくれました、ちなみにその時、その子のお母さんは他にも2歳と0歳の子供がいて、その子供たちの面倒を見ていてどうしても手が離せなくなり僕がトイレに連れて行くことになりました 

と書いてあげないといけない。

想像力が欠けてる人たちのために注意書きという松葉杖を用意してあげないと想像出来ない人は書き手の伝えたいことすら汲み取れず「多目的トイレの必要さ」を伝える記事に対して「3歳の娘をほかの男に任せるなんて」みたいなアホな感想にはならない。

この話を、おれのまわりの友達に話すとみんな「友達の子供をトイレに連れてくことなんてあるよね、そんなふうに捉える人いるの!?」と驚かれる。「ただ何でもかんでも批判したいだけの人だよー」と言われるが僕はそんな人もいるかもだけど実は本気でそれを思ってる人もいると思ってる。僕やその理解できる友達やこれを読んでて理解できるあなたにあって理解できない人たちにないもの、それは経験だ。

子供がいる家族と何度も遊ぶことによって子供の面倒をみることもあるし、仲良くなると代わりにお風呂に入れてあげることもある、それを「経験」してる人、「友達が経験してる人」は、ポルノのように注意書きをしなくても理解できる。人は経験から想像し理解ができる。理解ができず「ありえない」という人たちはそれらの経験値がない人たちだ。

彼らはポルノを現実のセックスのようにみる子供のように、漂白剤を飲む子供のように、経験のなさから、無理解になる。

ネットの中だけでそれを経験した気になってる人たち。そんな童貞たちのために、これからますますしなくてもいい注意書きをしないといけなくなる。彼らは世の中を退屈にする犯人だ。

※この場合の童貞という言葉は経験値がない人たちのことを揶揄した言葉なので「セックスぐらいしたことはある」という批判はなしでお願いします。

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