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お前は誰かを恐れてる

おれが漫才でゴールデンの時間帯に主張すれば「たかが芸人が」と、グレタちゃんが国連で怒りながら演説すれば「たかがガキが」と騒ぎだす。

しかしながらおれは本当に、たかが芸人であり彼女はたかがガキなんだ。ただ思ってることは主張するだけ。それにメディアが俺たちを照らす。メディアはスポットライト。おれならゴールデンで漫才で、グレタちゃんなら国連の演説で。

規模は圧倒的に違えど、スポットライトで照らされてる。グレタちゃんを希望の光だ、と、その主張を照らすスポットライトの数は世界中のテレビや新聞へと増え、その光が強くなれば、 注目されて称賛する人たちの数も多くなる。

そうすることによって違う考えの彼らはそれらを不快に感じ不安に感じ怒りに感じ、その発散方法として冷笑、中傷、批判、などをする。それはすごく面白いことで、相手が大きくなればなるほどそれを受け入れる余裕がなくなり、余裕がなくなれば、批判に変わる。あの子が近所で言ってるぶんにはまだ小さいから受け入れる余裕がある。それが国連で演説まですると、大きく伝わり、大きくなると余裕のキャパを超え、怒りだす。 ということはおれを叩き続けるということはスルーできないもの、もしくは、人生暇すぎてやることないなら叩く、そうすれば同じ考えの奴らが集まりそこに仲間意識ができ、寂しさから逃れれる。ということはまだ俺の漫才を叩くということはウケすぎたということでもある。うけすぎると賞賛されすぎて誰かを不安にさせてしまう。

声が大きくなることに不安で震えるのは人間の性だ。おれは朝鮮学校に行き独演会をしてきた。その時みたことをブログを書いた。最初は賞賛しかなかった。しかし、その賞賛の声が大きくなるにつれ朝鮮学校否定派が、少しつづ現れだした。声が大きくなることに不安になり、不快になり、草むらから我慢できず飛び出してきた。余裕がない怖がりの臆病者から順番に。

おれはTHEMANZAIで主張をした。なぜ漫才で主張をするのか、それはそれが表現だからだ。ロサンゼルスの劇場の支配人が言っていた、うちの劇場に出てもらう芸人に一番大切なのは何が言いたいことがあるやつだ、と。主張なき表現はただの魂を持たない玩具に過ぎないとおれは思う。玩具は子供達で遊べばいい。だからおれは主張した。もちろん笑いの中で。

オンエア後、賛否両論がすごかった。毎年すごいけど今年は特に反響があった。エゴサーチをしてコメントをみてたら本当に面白いかった。最初は最初は称賛だらけだった、しかし、その称賛が大きくなればなるほど、それを気にくわない人たちが草むらからポツポツ現れる、それにカウンターをするかのように、様々な人たちがおれを絶賛する。その絶賛の声は、もしかしたらおれ間違えてるのかな、と不安にさせる。間違えは自己否定につながるんじゃと怖くなり、また自己を肯定するような、おれの批判を違う切り口で始める。そして爆笑問題さんがラジオで褒めてくれたら、それに対して、自分の認めないものに、ひとつの太鼓判が押されたような気分になり、次は爆笑問題さんを批判しだした。おれの敵を褒めるお前も敵、という発想で彼らは子供返りしてしまった。

THEMANZAIが終わってもう5日経ってる。いまだに苛立って、あーだこーだ、批判する声が絶たない、無料の20数組の中のひと組だ、それを親の葬式を断って10万円払って観に来たけどつまらなかった、損した、ぐらいの勢いで批判してくる。まともな人は好きなものを選ぶ、そして語る。そうではないものは、スルーする。なぜなら何度も言うけど無料のテレビの20数組中のひとくみのたった5分の、ただの芸人の、ただの無知な男の発言なのに、5日間、ブーブーあーだこーだ、言ってる。やりたいことがないのか?ひまなのか?心が不安定なのか?不安なのか?おそらく全部だ、不快な気持ちから耐えられない、それはそれを評価する人たちがいるから、自己を否定された気分になるんだ。感覚の問題だ。

不快は自分にも搭載されてる。しかし、同じことをするとそれは同じ不安病感染するゾンビになる。不快不安から来る怒りにとりつかれるな。朝鮮学校のおれが書いた記事がバズって称賛の声が大きくなり不安から不快へ、そこから怒りにとりつかれた不安病ゾンビがぞろぞろ現れ、大声をだして仲間を集めだす、そうするとその大きさに不安になり、同じように相手を罵りだす、相手をしなくていい、あっちもあっちで小魚の集まりであり臆病なスイミーだ。彼らはそれらを受け入れる余裕がなくてみとめられなくて、不快だと言う感情に負けてしまった、臆病者なだけだよ。

グレタを変えても地球は変わらない。なによりおまえがいま注目してるのは地球よりグレタという子供だと自覚したほうがいい。皮肉にもお前がグレタを批判すればそれが誰かの目に留まり、次の人がそれに対して賛否両論意見を言う。結果、お前がおれやグレタを広めてるんだよ。ありがとう。

たかが芸人ならほっとけばいい、たかが子供ならほっとけばいい。なぜほっとけないか、それはグレタやおれが大きく見えるからだ。メディアを通して反響が大きくなる。それはスポットライトに照らされたただの子犬だ。お前らはそのライトに照らされた大きな影に怯えるだけ。

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