コピペ総理へ

安倍総理が広島と長崎の原爆の日にほとんど同じ原稿を読んだ。日付と場所を少し変えただけのもの。それを彼は何年も同じスピーチをしていた。それに対して「なめてるのか、それならわざわざ来なくていい」という声があったけど中には「毎年来てみろ、お前だったら全部文言を変えれるのか」という声もあった。僕は福島や沖縄にいく、広島に行く、行って地元の彼と話せば、彼らの心も変わっている。一年は人の心を変える。匂いも違う、感じ方も違う。それを言葉にすれば毎年違う言葉になる。

漫才をやってて思う。舞台に立てば同じお客さんがいる、初めての人もいる、この前は雨が降っていたけど今日は晴れてる。出演者も違う、それらを感じ、話す。心が言葉に現れる。同じネタが同じようには聞こえないんだよ。なぜならあの時とは同じ環境ではないんだから。

生きてる言葉を話さないと。人の心を動かしたかったら、誰かの言葉ではなく、自分のその時の心で話せば人の心は動く。みんな生きてる。感じたい。だったらすべてロボットの自動音声でいい

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