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広島に行った独演会を中止した

独演会を中止にさせてもらいます。買ってくれた方々大変申し訳ありません。

昨日から広島に行ってました。8月6日が原爆投下された日。僕は毎年、この時期の広島に行ってます。あの日も今日のように、暑かったのかな、何を考えてたんだろう、あの中でも笑いはあったのかな、同じことを繰り返さないようにするためには、なにをすればいいんだろうとか、夏の少し涼しくなった夜の原爆ドームとその横にある川を眺めるんです。それは心を動かしたいからです。それは怖さからでもなく、ただ、感じたいんです。

今回は大阪で仕事終わりに、広島に行き、広島の友達を呼んで、酒を飲みながら、彼らのおじいちゃん、おばあちゃん達から聞いたあの当時の話を聞いた。

その翌日、原爆の資料館に行きました。そこで、原爆で火傷して亡くなってる人たちや、彼らのお母さんが、亡くなる彼らに書いた手紙などをみて、涙が出てきました。その中で、四国五郎さんと言う人が戦争が終わり地元の広島にシベリアから戻ってきたら弟が亡くなっていた。

彼は自分の家族を奪った憎しみを、母子像として絵に描いた。描き続けた。そこでハッとしたんだけど今夜のおれの独演会は生活のためのただのネタのような気がして。そんなつもりはないんだけど、原爆ドームをみて、資料館でたくさんの悲しみを見た時におれの何かが怯み出した。

ユダヤ人の芸人がアウシュビッツをネタにする、彼は「悲劇と喜劇はルームメイトだ、悲劇の中には喜劇がある」と言っていた言葉をリスペクトしていて、独演会では自分の、悲劇を喜劇に変えていた。でも圧倒的な悲劇をまのあたりにしたときに、おれは悲劇のヒロインを演じてたんじゃないのかと、絵描きでいうところの、ペンを持つ力が、出てこなくなった。ここでおれは頭の中に「でもコロナで仕事ないんだから、ここで仕事して稼がないと、、」と頭に浮かんだということは、おれは表現者失格だった。

こんなネタはファンの人を、自分をがっかりさせる気がした。とにかく、あの悲劇を僕は体験したような、原爆が落ちたのもいまも同じ時代で、ちがう時代のようにすり替えて、映画を観るような目で見れれば楽だったんだけど、とにかく、そんな笑いをやりたくないからおれはテレビを降りたのに。

原爆の資料館に「土門拳」という写真家の写真があった。生まれた子供を抱っこする夫婦の写真だ。男性の顔は火傷があった。あの日、焼け野原になった広島で、あの光景の中にいた彼は、そのあとすぐ子供を授かる。

すごく笑っていた。あのような笑顔を、湧き上がる笑顔をみたい。広島の友達にいい場所があるよ、と言われ夜に、原爆ドームの向かいのライトアップされた原爆ドームがよく見える場所に連れて行ってもらい、途中で、みんなでビールなんかを買い込み、酒を飲みながら、平和とはについて、語り合った。川に入ると気持ちいいよ、と言われ、川に入った。海がすぐ近くにあるということでほぼ海水だと聞いた。

原爆で火傷を負った人たちが、この海水に飛び込んだと思いながら、川に入った。あの時も、これぐらいの温度だったのかな、朝8時15分に投下されたから、もっと冷たかったのかな、とか。僕は写真に撮ってもらった。僕の顔は少し笑顔だった。写真にはお酒も入っている。友達は最初、せめてお酒隠したほうがいいかもと言った。僕は、なんでやねん、と思った。でもまた友達が言った。

「そういえばわたしの友達が言ってた、原爆投下された日だからって笑っちゃいけない日ではないんだよ」と。悲劇と喜劇は同じってなんだろう。今夜は無理な状態になってしまった。でもなんだろう、またすぐに、いいものを作れる気がする。本当に行ってよかった。そして何度も言うけどキャンセルして申し訳ないです。もっともっと恐ろしくて面白いものを。

※土門拳さんの写真です。勝手に使った申し訳ないです。言われればすぐ消します。みて欲しくて。

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