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今年もお茶の間に隕石を堕とす

今日、たまたまホテルに泊まっていて朝に何の気無しにテレビをつけたら、朝の情報番組がやっていた、僕がみた時は、70代ぐらいの俳優がゲストで、そのときのコーナーは、最近の映画を紹介し、それに関してのトークをゲストとするコーナー。その時は「ノッティングヒルの洋菓子店」と「エイブのキッチンストーリー」だった。ノッティングヒルの洋菓子店の紹介で「EUから離脱したロンドンでその中で多様性の大切さをこの映画から考えるストーリー」と紹介していて「エイブのキッチンストーリー」はエイブという少年の両親がパレスチナ出身とイスラエル出身で、宗教も文化も違う、二つの国は分断されてる、家族はそれぞれ宗教が違ったりして、そこから家族の分断について教えてくれる映画だと、紹介があった。

僕もこの映画は観たんだけど、主人公の少年は、たまたまネットで見たいろんな文化を合わせたフュージョンの料理から自分の家族の在り方も同じように考えるという映画だった。いいメッセージを発信してるな、と思った。その映画の紹介をしていた。そこまでは、よかった。しかし、まず、ノッティングヒルの洋菓子店のVTRのあとに、司会者がゲストの俳優に「お菓子は食べますか?」という質問をした。

僕はてっきり映画のメッセージを受け取って、多様性が奪われてるいまの社会の現実の話をするのかと思った。もしくは多様性は奪われてない、とか、多様性は必要だよね、という、映画のメッセージからの各々の"意見"の話を聞けるのかと思った。なぜならこの映画を紹介するならそのメッセージを映画は伝えてるからだ。しかし「お菓子は食べますか?」でゲストは「食べますよ」みたいなやりとりだったと思う。

そのあと、エイプのキッチンストーリーでは、家族同士の宗教や国籍の分断の話をするのかと思ったら、ゲストに「料理はしますか?」と聞いて「しますよ」みたいな話になった。僕は思った、誰も悪くない。司会者もゲストも。彼らはこの国のテレビの仕事をやってるだけだ。テレビを作るスタッフたちも、いままでこれでやってきたんだろう、見てる視聴者も朝から"意見"を聞いて難しく悩むより、ご飯でも食べながら、ながらで観れるもの、が欲しいんだろう。それが日本の日常だ。しかし僕は、隕石が大気圏で一瞬にして粉々になり、地表まで辿り着かなかったような感覚になった。

映画でどんなに大切なメッセージを発信してもテレビに来た瞬間、それは粉々になり、お茶の間にまで辿り着かない。この国のテレビは何としても"賛否が起こりそうな意見"をここに持ち込まないし、出演者もそれに違和感がない。"そういうもんだ"になる。これが僕が兼ねてからずっと感じていた、この国の違和感だ。タレントのローラが沖縄の辺野古の基地問題に言及した時、各ワイドショーが、ローラの発言を扱った、しかし、その番組を観てみたら、ほぼどれもが「芸能人は政治的な発言はありかなしか」だった。そこは、辺野古に基地を作るべきか、作らないべきか、だろう。しかし沖縄の話が発信者の話になった。

表面の話になった。ワイドショーに本質的な議論という隕石は辿り着かなかった。NIKEが日本で親が黒人で肌が黒く生まれてきた日本人や在日朝鮮人が息苦しくしてるリアルが日本にあることを映像にしたら、NIKE不買運動が起きた。日本には差別はない、差別される国籍の奴が悪い、NIKEはウイグル労働者から搾取して靴を作ってる、購買者で成り立ってるNIKEが誰かを不快にさせるものを作るべきじゃない、など、いろんな角度から自称正論を吐いてる人達は多い。しかしおそらく、これをどれかのテレビが扱っても、在日朝鮮人差別がある、差別を無くそうという議論はやらないと思う。

意見は違う意見の反発を招く、複雑なものには手をつけず、先程の映画のメッセージを無視し、どうでもいい「料理作りますか?」の会話の方がながら見ができる。敵を作りたくない日本人が故に、おかしなことにもおかしいと言えなくなってる。なにがおかしいんだ、という声の人たちにも嫌われたくなくて。誰かに好かれるということは誰かに嫌われる。そもそも、誰に好かれようとも嫌われようとも知ったこっちゃない。思ったことを言えばいい。しかし、その意見はテレビの中に入ると、大気圏で消滅する隕石のように、消え去る。

おれの漫才だって、社会を皮肉ると、あれは漫才か漫才じゃないか、左翼だ、不勉強だ、にすり替わる。原発は必要かどうかの話にはならない。それを避けて、やれ、芸能人は政治的な発言をどうとか、漫才は政治的な発言はどうとか、にすり替わる。主語が原発は、辺野古は、在日は、にならない。

避ける逃げる、嫌がる。腫れ物扱いし、それらは、テレビのお茶の間には持ち込まれない。12月6日、今回も年に一度、おれがテレビに5分だけ出る季節がやってきた。もう収録済み。日本人の大好きな芸能界を利用して社会の問題提起をした。だからあんたらの好きなより、甘いケーキを装って中に薬を詰め込んだ。

パンケーキ総理と同じやり方だ。政治が羊の皮を被るオオカミ、ならぬ、パンケーキの皮をかぶるオオカミならおれもさらに美味しいパンケーキを焼き上げてそれに紛れて薬を5分間で目一杯撃ち込むから今年はよろしく。

僕は巨大隕石を茶の間に堕とす。

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