本当に音を楽しみたいなら目を閉じろ

この文章で俺は他の奴らとは違うって言いたいわけでもないしその他の奴らを貶すわけでもないんだけど、ちゃんと音楽聴いててそれを自分なりに"解釈"しようとしてる奴が俺の周りにどれだけいるんだ?って思ってしまったので書いてしまう。今が好きな奴も昔が好きな奴も、好き止まりじゃお里が知れるよ。

アイドルはゴミだとかポップスはくだらんとか、それが界隈の総意でたしかに俺もまあ概ねそう思うんだけど、やっぱりそこにロジックが無いと俺は納得いかないんだよな。それに、じゃあなんで昭和のポップスのリバイバルである現代のインディーズバンドが"真に良いモノ"として扱われているのか。そこに理由がないと納得いかない。アングラだから、オシャレだから、曲が明らかに良いからでそれを片付けたり、その反骨で今のポップスを貶すことは許されないんじゃないのかな〜と最近思う。

音楽を真面目にやってないな〜って印象の奴は結局ガワしか見てない。年代とか、LoFiな音質とか、ジャケとか、そいつらが着てる派手な衣装とか、そんなんだけで"良い"を決めつけてる。それは見ただけで人の心を動かすようなポルノ的な要素でしかない。アイドルのフリフリの衣装とかポップスの顔が良いボーカルみたいなもんでしかない。

たしかに昔のものは良い。俺もそう思う。だからといって元々"レトロ"が好きで刺さったってだけのジャンルを過剰に信仰するべきではない。
現代にも残るような良いものにはそれなりの理由がある。でも俺らが当時のロック好きみたいに熱狂する必要は全くない。それは70年代の一過性の熱狂を再現してるだけで、YOASOBIのしょーもないファンと本質的には変わらん。

つまるところ俺らはどんな音楽でも"解釈"して取り込む必要がある。常に視覚的な刺激とポップなメロディで誘惑してくるロックというジャンルをポルノではなく体系的なものとして認識し続けるために、学ぶという姿勢は捨ててはいけない。

"解釈"は全ての音楽に対して行えるアクションで、自分なりに何が好きで何が嫌いかさえも明らかにする。嫌いなものさえも自分なりに解釈できる。音楽は全て脈のように繋がっている。嫌いなもの、くだらないものの中にもたしかに自分の好きなエッセンスが息づいている。それを認めるところから始めないといけない。

そもそもこの世に反吐が出る音楽なんて存在しない。音楽と認識できる時点でそれは美しいものだし、音楽を成立させるものは基本的に美しい音の整列だ。いくら暗く独りよがりにアングラに思える音楽でもそれは聴く人に"刺さる"ように冷静に構成されている。俺らが嫌悪感を抱くのはその音楽を包むファッションの部分だ。殊更ロックというジャンルは総合芸術と言われるように音だけではなくファッションとの関連がかなり深い。だからこそ俺らはファッションに囚われすぎて、好きなはずのロックに対してポルノ的な消費しかできなくなってしまう。
だから本当に音を楽しみたいなら目を閉じて、考えながら聴いた方がいい。結局ロックの浅い歴史なんて全部言語化できるし、それでいてあらゆる音に深い意味を与えている。ちょっと考えれば今ある音楽のバックグラウンドなんてすぐにわかる。それがロックの面白いところだと思う。

べつにポルノを否定してるわけじゃない。俺だってAVは見るし、しょーもないアニメで泣けたりするし、それを恥ずかしいことだとも思わない。ただ恥ずかしいと思ってる奴のほうが往々にして浅い思想を持っていると思う。自分の信じているものはポルノではないと、センスの良いものだと過信し、自分が信じている部分の浅さに気がつけない。コンテンツの高尚さに自分を委ねすぎている。
まあそういう奴らは実際に良いものを信じていがちだから否定するのが難しいんだけど、俺は後からついてきただけの"センスが良い"におんぶにだっこしてるかんじが納得いかんな〜って思ってしまう。

俺はまだまだ浅いと俺自身本気で思っている。でも浅いのに浅くないフリをする奴が本当に許せない。一貫性警察なので。

音楽に限った話じゃない。君がどこに属していようと真面目に生きている自信があるなら同じく真面目な奴を貶してはいけないし、真面目じゃない奴のことはゴリゴリに差別していくべきだと俺は思う。音楽は音楽になるまでは楽しくない。全ての音が噛み合うまでは音楽じゃない。練習はキツイしスタジオもキツイし作曲だって編曲だってキツイ。音楽だけを肯定しようとすると、楽しさだけを切り取ろうとする下らない奴らに居場所を取られてしまう。自分が音楽に対して真面目でいるためには楽しんでいるだけの善良な他人を攻撃しなければいけない。これは悲しいけど仕方の無いことだと思う。


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