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『神隠し しょぅじょ贄』プレイ感想&考察/善悪の彼岸、黒幕と主人公のあいだ

1.はじめに

 昨今、「十三機兵防衛圏」「グノーシア」に代表されるようなADV系のゲームの人気がオタクの中で高まりつつある。「ゲームという媒体で物語を読ませる」という技法への評価が進んでいるのは、その手の読み方を昔からしてきた自分としてはとても嬉しい。

 そんな筆者が今回ぜひとも語りたいゲームが、同人エロADV『神隠し しょぅじょ贄』(以下「神隠し」)である。
 緻密な伏線、ゲームパートがもたらす没入感とインラタクティブな体験、一癖も二癖もある登場人物、etc.……「神隠し」について語るべきポイントは山のようにあるが、この記事ではプレイヤーキャラである「祟り神」を中心に、作中で語られる「善悪」の概念を交えながら語りたいと思う。

 この記事には「神隠し」のネタバレが大量に含まれているので、今この記事を読んでいるあなたがまだこのゲームをプレイしていなかったり、今後プレイする予定があるのなら、DLsiteの商品ページに飛んで購入してクリアし、その後この記事に戻ってくることを強く推奨する。

-----------------------以下ネタバレ-----------------------------------------











2.エイミー、鳴子のキャラクター性に見る「しょぅじょ贄」の"善悪"の概念

 本題である祟り神の話題に入る前に、物語のキーパーソンである「エイミー」「鳴子」の二人に関する描写から、「神隠し」における善悪の概念について考察していく。

 エイミーは「神隠し」において、ある種の主役のような立ち位置にある。祟り神や神隠しの理不尽な恐怖に怯えながらも、一般的な善性と活発な行動力でもって人を助けようとする、ホラーゲームの主人公のような役割だ。多くのルートでは鳴子を思っての彼女の行動は実を結ばないが、終幕表ルートでは祟り神の討伐に貢献することになるし、エンディングでもその性格を生かしての奈々瀬との将来的な和解が示唆されている。

 一方の鳴子も、「神隠し」において中心となるキャラクターである。しかし彼女の場合はDLsite商品ページのサンプル画像のような祟り神の犠牲者という意味ではなく、その異常な精神性でもって状況を引っ掻き回す台風の目のような役割だ。
 「私は嫌な思いしてないから」を地で行く生まれついてのサイコパスであり、自分の目的のために他者を加害することに一切の躊躇を持たない。「神隠し」の登場キャラクターのうち誰が一番怖いかを問われれば、少なくないプレイヤーが彼女を挙げるだろう。筆者もその一人である。

 そんな恐ろしい人物である鳴子は、「終わらない夏休み」ルートにおいて楸の力を借りて祟り神を出し抜き、エイミーを手籠めにするのだが、その際のHシーンに示唆的な台詞がある。
 「踏みにじられる子の気持ちが分からないところ、あたしと似てると思うんだ」───この台詞がいかなる意味を持つのかはプレイヤーによっても解釈が分かれるだろう。異常者である鳴子にはエイミーの良心が一切理解できないというニュアンスも当然含まれているであろうが、筆者としては「エイミーのような一般的な良心ばかりが人を救う訳ではない」という物語上の意味が込められていると考える。

 念のため断っておくと、この解釈はエイミーの善性の価値を毀損するものではない。彼女によって救われた人間が存在することは前述の通りである。
 ここで重要なのは、天性の異常者である鳴子もまたエイミーと同様他者の救いになっているということだ。
 最終ルートでの楸の救済には鳴子が深く関係していることは既プレイヤーであれば周知の事実だろう。最終局面での楸に精神面からヒビを入れて攻略の糸口を作り、さらにエンディングでは楸を村から連れ出している。ここでは彼女のサイコパス性が「周囲の目を一切気にせず楸とのコミュニケーションが可能」という、完全にポジティブな形で表現されている。

 「神隠し」においては、どんな人物であっても状況と巡り合わせ次第で誰かを傷つけるし、誰かを救うのだ。「善と悪は紙一重で、どちらにも容易に変わり得る」───これは「神隠し」における通奏低音であり、シナリオ中の描写を読み解く上で重要なファクターである。
 そして、この概念をもっとも体現するキャラクターこそ、プレイヤーキャラである我らが祟り神なのだ。

3.和風伝奇ホラーの怪物、祟り神 ~表√ラストまで~

 前置きが長くなってしまったが、ここからは本題である祟り神について、「いかにこのゲームの思考誘導が的確か」という視点も交えつつ語っていく。

 「神隠し」をプレイしはじめてすぐのチュートリアルや一週目では、少女たちの視点から神隠しという現象の恐ろしさが克明に描写される。黒幕である祟り神も得体のしれない存在として、少女たちに和風ホラーらしい理不尽さでもって襲い掛かる。
 このように、プレイ初期において祟り神は善良な少女たちを蹂躙するおぞましい怪物として描写される。この時点での祟り神はまごうことなき悪役であり、捌の抵抗も意に介さない一方的な加害者である。

 ところが、二週目以降その印象は少しずつ変わってくる。
 同じ人ならざるものである藍や、人間でありながら祟り神を認識しておりプレイヤーにヒントを与えてくれる心、そしてパートナーである狐との会話といったイベントの中で、祟り神にも明瞭な人格があり、複雑なバックボーンを有していることが断片的にだが判明していく。プレイヤーにとっては、祟り神は正体不明のモンスターではなくなっていくのだ。
 
特に、メインヒロインである狐とのやり取りは「神隠し」屈指のほのぼの要素と言っていいだろう。まるで普通のギャルゲーのような会話は、プレイヤーに祟り神への好印象と狐への愛着を持たせるのに十分すぎる。

 とはいえ、少女たちにとって祟り神が訳の分からない怪物であることには変わりはない。むしろプレイヤーがゲームに慣れてくることで、夢の中に入って少女たちを騙して外出させるなどの手段を効率的に使えるようになり、少女たちの秘密を解き明かしたいという動機も合わさって神隠しはどんどん加速していく。ホラー描写も迫力を増し、神隠しの恐ろしさを存分にプレイヤーに見せつける。

 しかし、無辜の人々を襲う怪物は最終的にヒーローによって斃されるのが物語の常である。表終幕では少女たちの尽力によって神鏡の完全な復元が成され、藍の復活により巫女として覚醒した三月が祟り神の前に立ちふさがる。

 「神隠し」は黒幕を操作するゲームではあるが、善玉たるヒーロー側のアツい描写にも手を抜かない。
 太陽の神の加護を受け、いなくなった家族や友達を救うため、血脈に秘められた力で影の化け物を討ち果たす───要素を列挙すればまさしく伝奇バトル物の光属性ヒーローといった趣である。祟り神が階段の下、三月たちが階段の上という立ち位置もかなり示唆的だ。
 極めつけは、藍の復活と同時に流れる和風伝奇ホラーにはちょっと似つかわしくないまであるカッコいい戦闘曲である。景色が一気に明るくなると同時に処刑用BGMが流れ出すという演出は、プレイヤーに問答無用であちらこそが「主人公」であり、こちらが「倒される側」なのだということを認識させる(ちなみに筆者は『大神』のラストバトルを思い出した)。

 こうして、実に大義ある戦いによって祟り神は倒される。まだプロフィールが全部開いていないキャラがいる、祟り神はもともと祟り神じゃなかったんじゃないか、狐はこのあとどうなるんだ、というか俺ら以外に第三勢力いるっぽいけど大丈夫なのか……そうした謎を置き去りにしたまま、「怪物」あるいは「悪役」としての祟り神はここで一度終わりを迎える。

(追記:覚醒三月のイベントで流れる処刑用BGMは、T.M.BACH氏の「フリーサウンド素材 セット(564曲収録)」という素材集に収録されている「baroque11」という曲である。「神隠し」内の他のBGMも全てこの素材集が出典だと思われるので、気に入った曲があれば買ってみてもいいだろう。)

4.悠久なる隣人にして守り神、『たたり様』 ~表その後編、エンディング~

 第三勢力たる楸が本格的に動き出し、さらに村には台風が迫り人々が危機に陥る中、祟り神はボロボロの状態で再び現れる。

 怪異としての力を完全に失い、余命いくばくかという状況の祟り神は、狐に寄り添われ自らの過去を語る。ここで、今まで断片的にしか提示されていなかった祟り神と狐の過去が一気に具体性をもってプレイヤーに公開される。
 「神隠し」を語る上で外せない名シーンであり、語るべき事柄はたくさんあるが……今回重要なのは、「本来祟り神は感情を持たないニュートラルな存在だった」ということである。

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 これは回想シーンの直後に楸が現れ祟り神を嘲る場面だが、この台詞は祟り神という存在を実に的確に表している。祟りを起こすことを人間に願われたこと、そして狐(のもとになった少女)を救おうとしたことで神だったものは人間に近い実体を持ち、祟り神へと変化したのだ。上位存在でありながら、人間に影響を受けて変化してしまったもの───それが今の祟り神の本質だった。

 今の祟り神は、藍と三月によって封印されたことで人間を害する力を失い、奇しくも本来のニュートラルな存在に近づいていた。
 そのまま狐とともに現世から消失するところだったが、狐を楸が攫ったことで状況は一変する。

 この瞬間、祟り神は今まで隠してきた少女と同じ「自分より強い存在によって自分と大事な存在が危機にさらされる」という立場に置かれる。同時に祟り神の願いとプレイヤーのモチベーションが「狐を救いたい」という一点で完全に一致し、クライマックスに向けてシナリオへの没入感を一気に増していく。
 そして祟り神は無力感に打ちひしがれながらも、ひとりの存在として状況を変えるため明確な意思を持って行動を始める。「祟り神」になったときと同様、彼は少女を助けるため変質しつつあった。

 さて、ゲーム中随一の難易度を誇る戦闘(これと横道√の半覚醒三月が二強であろう)ののち、祟り神はなんとか心からの協力を取りつけることに成功する。そして、心のその身を犠牲にした願いを聞き届ける。

 先述した通り、「祟り神」になった時にそこには神自身の願いと人の願いがあった。かつては村人の強烈な殺意と狂気が神を祟り神に変えたが、今回は違う───心の献身が、祟り神を人々を守護する「守り神」へと変えたのだ。数百年前と違いアイデンティティや能力に根本的な変質が起こったわけではないが、確かにこの瞬間が祟り神にとってのターニングポイントだと言える。

 ここで重要なのは、祟り神が守る人間の中には楸も含まれるということだ。
 神隠しされてきた少女の未練の集合体としての楸は、「巫女では救えない存在」という立ち位置にある。楸は共同体を維持するための犠牲者であると同時に、村人を脅かす加害者でもある。巫女は村の人々を守る存在であるがゆえに、祟り神を封じることはできても楸を許容することはどうしてもできないのだ。
 では、正しき守護者では救えない楸を誰が救うのか───そこで通りすがりの異常者の鳴子、そして我らが祟り神が立ち上がるのである。

 心の犠牲によって力を取り戻した祟り神の前に、楸はなんと心の姿に化けた状態で現れる。

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 心の献身を愚弄するかのようなこの行為(もっとも、プレイヤー/祟り神もここまでさんざん夢の中で他人に化けて少女を騙していたのだが……)によって、プレイヤーの「楸を倒す」というモチベーションは一気に高まる。祟り神も直後に「悪趣味なことはやめろ」とゲーム中唯一怒りをあらわにするような発言をしており、このシーンも祟り神とプレイヤーのシンクロ率を上げ、没入感を高めるのに一役買っている。

 再起した祟り神の力をもってしても楸には最初のうちはまったく歯が立たないが、トリックスター・鳴子の(無自覚な)精神攻撃によって盤面は一気に変わる。無敵性すら感じさせた楸の力はみるみる欠けていき、ここで彼女は本来の「祟り神に襲われた少女」へと近づいていく。

 そして、局面はこのゲーム最後の戦いへと移る。楸に祟り神が襲い掛かる構図は奇しくもチュートリアルの最初の神隠しと全く同じだが、それが持ち合わせる物語上の意味は全く別物だ。
 注目すべきは、この戦いでは三月が祟り神を討伐した時と同じBGMが流れることだ。この瞬間の祟り神は和風伝奇ホラーの怪物ではない。かつての三月と藍のように、「他者を救いたい」という願いから生まれた行動が結実した存在としてここに立っているのだ。表終幕のように太陽の力や聖なるお札があるわけでもなし、やることは夜闇の中でいたいけな少女を侵蝕しているという今までのゲームプレイと全く同じである。にも関わらず、これは間違いなく他者を救うための戦いなのだ。
 表終幕でボコボコにされた構図がここで完全に反転し、プレイヤーの高揚は最高潮を迎える。

 かくして、正道から外れたものたちによって楸もまた救済され、物語は当初プレイヤーの誰もが想像していなかったであろう大団円を迎える。エンディングの爽やかさと暖かな読後感については、ここで今更言うまでもないだろう。

5.おわりに

 筆者は異類婚姻譚のような「人と人ならざるものの物語」が好きなので、この記事では人間の敵と味方の間で揺れ動く祟り神にフォーカスして「神隠し」を読解してみた。

 「神隠し」は読み手に親切なシナリオで、伏線は多いながらも最後までプレイすれば本筋を理解すること自体は難しくない。だが、登場人物の台詞の細かなニュアンスや、描写の物語的な意味については解釈の分かれる部分があるだろう。というわけで、この記事を読んだ既プレイヤー諸氏の意見も聞いてみたい……要するに、みんなもこんな感じで考察書いてくれ!というやつである。お願いします。
 そして、もし「神隠し」未プレイでここまで来た人がいれば、今からでも遅くないので自分でプレイしてみてほしい。実のところ核心については一部伏せながら書いた部分があるし、そもそもこの程度の文章量で語りつくせるほど「神隠し」は浅いゲームではない。ぜひ自分の目で真相を目の当たりにしよう。

 余談になるが、現在サークルベェーカリィーでは「神隠し」のアフターストーリーを作成中だそうだ。鳴子、エイミーが中心になるようで、どんな内容になるのか非常に楽しみだ。
 個人的には狐と祟り神のその後が気になるところだが……メイン絵師のけそ氏は男性キャラを基本的に描かないようなので、少年の姿をとった祟り神を見ることは叶わないかもしれない。無論、立ち絵がなくてもシナリオさえあれば満足なのだが。
 (2021/1/27追記)よく考えたら、後日談で村の描写をするには夏ではない時期の村の背景写真が新しく必要だと気付いた。このご時世に取材に行けるわけもなし……無理では……?

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