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それから『西海岸マーチ』


西海岸マーチ

君の制服は超キュート
マシェリの香りで僕はフライト
つまんない顔している今日も
君を見るたびにスーパーグッド

フワフワしている僕はきっと
5cmくらいは浮いていそうだよ
この感じなんて言えばいいの
炭酸がちょっと抜けてるチェリオ

不安なんてもう
君がいたら全部 溶けてなくなる

ドキドキするこの距離感と
甘酸っぱい夏の終わりは
夕暮れ 目に染みるな
色あせないでね
バックネットに消えた魔球も
風に舞う君のスカートもまるで
甘い甘い夢を見るみたい

ダンスダンスビート乗せてよ
今夜 朝が来たって怖くはないから
この感じ終わらなけりゃいいな
エピローグなんてなくてもいいや

君は幻 雨は夕立ち
「呼吸を止めて。」
「一秒だけ?」
「...静かにして!
君が好きなあのメロディーだ!」

ダンスダンスビート 西海岸

ドキドキするこの距離感と
甘酸っぱい夏の終わりは
夕暮れ 目に染みて泣いたの
誰にも言うなよ
いつしか僕 大きくなって
朝が来るのが怖くなったって
何度もくり返し聴くんだよ

君といたこと
思い出すように
君といたこと
思い出すように



【解説】
今から20年前くらいは
ポップパンクのことを
西海岸系と称している事が多かった。
元々の語源はSublimeとかBLINK182とか、
ロサンゼルス、
サンフランシスコ、
サンディエゴ、
オレンジカウンティーなどの
本当に西海岸出身のバンドのことを指していたが、
言葉が一人歩きして
段々西海岸出身じゃないバンドも
それこそ日本人でも
「西海岸系サウンド」とかいう感じで
売り出されている時期があり、
僕の周りでも
「これ、西(海岸)っぽいよねー!」
とかいうノリで
明るいタイプのポップパンクバンドを
表現している事が多かった。
本来なら西海岸系とは
ポップパンクだけではなく、
Kottonmouth Kingsとか、
Sugar Rayとか
ZEBRAHEADとか
ミクスチャー的バンドも多くて、
個人的に思う
共通している音楽の印象は
とにかく明るく楽しく、
陽気でおバカみたいな
「そう、僕たちは、stupidです!」
とメンバーが並んで肩を組み、
一緒に笑顔で言ってきそうなバンドたち。
多分、
西海岸の方が
他の地域に比べて気候がカラッとしていてるようなので、
そんな空気感が音楽性に反映されていたように思う。
西海岸系のファッションも
特徴的で
キャップを斜めに被り、
大きめのTシャツに、
ディッキーズの短パンを履き、
ハイソックスと
VANSのスニーカーと
財布にはボールチェーンみたいな格好で、
小脇にスケートボードを持ってる。
そしてスケートボードは持ってなかったけど、
もれなく僕もそんな格好をしていた。
ただ個人的に
この西海岸という言葉はすごく嫌いで、
インタビューやCD帯など
媒体やメディアで使われるたびに
「西海岸って言っておげはいいんでしょ?
そういうのが君、好きでしょ?」
と言われているような
なんかバカにされてるような感じがして、
嫌だなと思っていたし、
僕がこの言葉を使うことはなかった。

『西海岸マーチ』は
僕の高校生の時の思い出についてで、
当時は大学を卒業して5.6年くらい経ち、
ある日、
あの頃聴いていたポップパンクのバンドを
改めて聴いていた時にふと
あの頃が懐かしくなって、
僕なりのハイロウズの『青春』みたいな曲を作ろうと思った。
音楽ってその楽曲の自体の好き嫌いや
良し悪しだけではなく、
記憶をパッケージする力もあると思ってて、
その時期その時期で
熱心に聴いていたバンドや曲を
数年経ってから改めて聴くと
音楽の中から
あの頃の記憶と思い出も
一緒に呼び起こしてくれる。
この曲の曲調は
西海岸でもマーチでもないけど、
タイトルだけでも
なんだか楽しそうな曲のタイトルを付けたかった。
ここで嫌いな言葉をあえて使ったのは、
音楽的に
『西海岸』というのは
僕の年代を象徴していた言葉でもあり、
また同年代に向けて作ったところはあったので、
「同年代へのメッセージとして気が付いてくれるかな」
という気持ちからだった。

「なんかリズミカルだな」
とは思っていたものの
作ってる時は全く気が付いてなかったが、
Aメロは全部、
Cメロにも所々で韻を踏んでいる。
マシェリは僕よりも
同じ時期くらいにバンドをやっていた
pricelessの本城という友達が
「女子高生といえばマシェリだよな」
とよく言っていて、
チェリオは自分の通っていた
高校の向かいに自販機が置いてあったから、
よく飲んでいたのでそこから来てる。
バックネットに消えた魔球は
高校生の同級生で
野球部のエースだった野村に
体育の授業でソフトボールをやった時に
僕が全然打てなくて凹んでいると
学校が終わってから
グランドのバックネットで
野村が球を投げて、
直々に僕にバッティングのコーチしてくれた思い出から、
風に舞う君のスカートは
クラスでアイドル的に可愛く、
個人的には密かに
レイチェル・リー・クックに似てると思っていた
ブラスバンド部の丸山さんの
やけに短かったスカートとの思い出。
Cメロの歌詞は割となんでも良かったけど、
最終的に採用した
「雨は夕立」は
高校で夕立や雨が降ると
女の子はルーズソックスを脱いで、
素足でローファーを履いていて、
あの感じが好きだったし、
今でも夕立を見るとそれを思い出してたから。

カップルYouTuberとかSNSの発展で、
感覚的に
「うちらの愛、見せつけたい」
みたいな感覚が育ってるのか、
今の高校生ではあんまり見ないけど、
当時の高校生のカップルとか
どっちが片想いしてる男女って
並んで歩くというよりは
近くとも遠くともない
なんか絶妙な距離感で歩いていて、
あの距離が本当に甘酸っぱくて好きだった。
クラスメイトから見られたら嫌だし、
並んで歩くのが恥ずしくて、
ちょっと離れて
微妙に会話もしにくいから
どっちも話さない、
でもお互い近くにはいることが分かるように
お互いを意識してる距離感みたいな。
あれは本当に大人にも子供にも出せない
絶妙な距離感だと思う。

曲を作った当時、
フリーターではあったが、
学生ではなく、
少しずつ自分が社会に身を置くようになり、
社会の厳しさを目の当たりにし始めた頃で
毎日朝になると
「今日もまた始まるのか」
と学生時代にはない憂鬱を感じ始めていた。
ただポップパンクが流れるだけで踊れるほど、
日々馬鹿騒ぎしていただけだった
あの高校生時代が
今では幻のように遠くに感じる。
そう思う度に
「あの頃のみんなも今はこんな思いしてるのかな。」
と思いつつ、
「俺もあの頃の思い出を胸に頑張るよ。」
と自分を励ますように作った。



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