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アリギリスと端材

作品作ってても、友達と話してても、どうしても端材みたいなのが生まれてくるんだよね。

作品にするほどでもないけど、ある程度いろんな人に見てもらいたいし、友達に話すのもなんか違う感じするけど、友達と話すくらいラフに話したいし、別にまとまってねえしみたいな。

だから、「ラフな感じが良いね」っていうカッコつかないレベルの端材たちをうまいこと、ここで書いていこかな的なノリでやろうかなと思ってる。

いざ書き始めたらその端材たちが頭の中でどっかいって、書くこと全然でてこない。
かと言って端材を探すのも、目的と手段入れ違ってる感じしてヤダしさ。



とりま作品関連のこと書こかなと思う。



俺の作品はコンセプトしっかり書く系で一番最近作ったやつなんかは600文字くらいあった。まあ俺以外の人らの平均値みたいなのはわかんないからあくまで体感でしっかり書いてるとは思ってるってだけなんだけど。
これも別に作品を作る上で必要だって教わったから書いてるわけじゃなくて、本当に素直にそうしたくてやってて、思考してることで、生活の中で俺の奥底に根付いたものを文章にしてみた結果だから俺はこれで良いと思ってるし、作品つくんならこれじゃないとやだなとまで今はまだ思ってる。

たまに、俺の作品を見た人の中で、それなら作品要らねえじゃん。的な意見をもらうことある。
まあ俺の心の中の率直な意見としては「うるせえ」なんだけど、流石にそれを外に出すのはマズいというか、語弊がありすぎだし、いろいろ考慮してまだそれは言ってない。
ただ、納得はいかない。まじで。

コンセプトにその作品の全て(思い、目的、主義主張、なんでそういう造形してるかとか)が提示されてるんなら、まあその意見も一理あるかもな?って感じなんだけど、俺のコンセプトはあくまでその作品に込めた俺の主義主張と鑑賞したことでおまえが少しでも、こう思ってくれたら最高だわっていうことしか基本的に書いてない。
だから作品の造形とか色、素材に対してはなんも提示してないのよ。そのせいでコンセプトと作品が繋がらないとも言われたりすんだけどね。

でも、てことは作品とコンセプトを重ね合わせた時に作品自体に余る部分が浮き上がってくるわけで。必然的に。んで、その浮き上がった部分を作ったのも俺自身だから、そこにも俺が言語化できてない部分、自覚してる主義主張から離れてるところが表れてるんじゃないかって考えられると思うんだよね。

だし、おれもそこに対するベクトルの馬鹿さはないから本当に文章だけでいいなら、文章だけで良いや!って気付くし、文章とまた別に作ってる、そいつにこそ俺のいろいろな想いを託してる節はある。
物が完成したときの、あのどろどろした疲労感の奥の方にある、きらきらした爽快感みたいなのとか、ふとこういうのつくりたいって思う瞬間があるし、制作ってとこに関しても、だるいけどやっぱ好きなのはある。

べらべら言うとりますけども、リアリティが欠けちゃうのよ。俺にとっての。リアリティが欠けるってことを免罪符にして努力してないだけって言われるかもだけど、まじでこれもリアルなの。
そりゃ、アーティストとして飯を食えるようになれればまじ最高だけど、アーティストとして飯を食えるようにするのは、俺の中では端材が溜まってうざいから端材でなんかしよーって思ったら端材がどっかいって端材を探し始めんのと一緒なんです。

あくまでおれは
大学生です。四年間好きにして良いよ!
なら芸術学科だし興味あるし作品作る系のゼミ入ろ!
やんならがち純度100%で俺らしいことしたい!
その上でなんか大勢ででかいことしでかしたい!
そのついでに食いっぱぐれコースに乗っかっちゃいたい!
っていうノリ(だいぶ端折った)で始めて、今もそのノリが変わらずある。バイトしながら夢追っかけんのもかっけえけど俺はそこまでしたいと思えないんだよなーどうしても。
そういう面を持った奴のリアリティを保って作品に表そうとした結果、今、俺の手元にある時間で出し惜しみせずにかまし切ろうとして、今のスタイルがあるんだろうなーと。

まあこの話題だけでも書いてみると補足したい部分とかでてきてキリないから、一旦おわり。


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