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人を褒めることの本質は何か

日経朝刊の投稿募集テーマに、「褒められてうれしかったこと」が取り上げられていた。その理由は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、インフォーマルな組織の衰退に伴う「対話」の重要性が浮き彫りになり、これを補う工夫の一つである、「褒める」に注目したとのことであった。

私が褒められてうれしかったことは、最近のものは思い出せない。きっと、褒められても心の底から褒められているのかを疑っているのだと感じる。特に、尊敬している人や、心を許した友人、家族以外の人から褒められたときは、疑う傾向が強くなっているのだろうと感じる。そして、その傾向は、特に最近になって強くなっているように感じるのである。

最近の世の中は、褒めればいいという言葉だけが一人歩きをして、心を伴わない褒め言葉が横行しているようにも感じる。腹の底ではイライラしながら褒めてみたり、枕詞のように褒めておいてからたくさんの指摘をしてみたり、褒めるということがコミュニケーションのテクニックになってしまっているのではないだろうか?

幼い頃、はじめてできたことに対して褒められてうれしかった。実らなかった努力も、その過程を褒められてうれしかった。そして、我が子を褒めるときは、まるで自分事のように出来事をとらえて褒めていることに気づく。つまり、褒められてうれしかったときのことを考えると、決して褒められることを求めていたわけではなく、喜びや苦労を心の底から共感してくれたことに対してうれしかったのだろうと感じるのだ。

褒めることはテクニックではない。相手の喜びや苦労を心の底から共有したときに溢れる、無意識の言動なのだろうと想う。

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