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石井琢朗、中畑清、DeNA…今の自分の情熱に火が着いた2012年10月8日の話

今やプロ野球ファン必見の番組となった NHK BSの野球バラエティ「球辞苑」。2019-20年オフシーズンの最終回は「応援」だった。その中でダーリンハニー吉川正洋の最も思い入れのある曲として石井琢朗の応援歌を挙げた。

2008年、追われるように横浜を去り、2009年から4年間戦った広島で、石井琢朗の応援歌だけは変わらずに歌われ続けた。2012年10月8日、その石井琢朗の現役最終ゲームがこの横浜で行われた。観客が敵味方問わずこの応援歌を歌えたことは、一つの奇跡だったのを思い出す。自分もその場所に立ち会えたのはひとつの幸福だった。投球前から内野スタンドが総立ちになるなんていう光景は後にも先にもこのときだけだ。(上記の動画でもその様子が確認できる。)

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2012年9月23日だった。私の社会人1年目、愛知から東京に出てきた友人と関東の野球場を巡ろうということをやっていて、7月に千葉マリンに足を運んだのに続いて、ぜひハマスタにという話で観戦する予定の横浜DeNA 対 広島だった。

石井琢朗は8月末にこのシーズン限りの現役引退を表明、9月30日にはチームの本拠地であるマツダスタジアムにて引退試合が予定されていた。23日の試合は横浜で予定されている最後の対広島戦であり、石井琢朗の「顔見世興行」でいえば前半戦のダイジェストに過ぎない予定だった。

そこに運命の悪戯を仕掛けるのは「雨」だった。

23日の試合が中止となり、その振替試合は10月8日になる。琢朗の引退試合のその後に、「石井琢朗発祥の地」(本人談) で現役最後の試合がある。これが本当の「最後の試合」だ。誰が用意したわけでもない筋書きは、神様からの贈物としか思えなかった

試合はといえば、それまで数年の間、何度も観たボロ負けの試合そのものだった。本拠地最終戦は完全なる消化試合で、打線の主軸だったラミレス、中村紀洋は代打で1打席のみ。この日プロで初めて四番に座った筒香嘉智も4打数無安打。小杉陽太、伊藤拓郎、佐藤祥万と若い投手陣が短いニングを繋ぐも、菊地和正、藤江均が捕まり炎上して、打線は前田健太に抑えられた完敗であった。

この日の主役だった琢朗、打席では安打こそ放たなかったものの、守備では捕球からスローに入るまでの速さは素人目にも群をを抜いていて、今日現役を終える選手のプレーには到底見えなかった。最後の打者の放った高い内野フライは石井琢朗のグラブに収まった。自分が高校生だった頃、いつもハマスタを訪れれば遊撃にいた琢朗のプレーもこれが最後か…そんな感慨に浸るのにちょうどよい滞空時間であった。

石井琢朗が右翼席へ挨拶に走る。横浜から引退する新沼慎二のセレモニーが終わった後、私の心を揺さぶったのは中畑清の挨拶だった。

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ベイスターズを預かる会社としての DeNA には、当時は懐疑的だった。「負けたら返金チケット」は、勝利しても上限額まで返金を申し出る観客が続出しておかしな空気になった。もう完全に忘れ去られてるけど、スタジアムでシャボン玉を飛ばそうなんて話もあったな。確かに2011年12月の経営譲渡時点で FA 戦線も出遅れてるし、TBS陣営最後のドラフトは高校生重視で即戦力は皆無。しょうがないとはいえ、親会社は変わっても弱いのは変わらないベイスターズだった。

中畑清の就任は経緯もあり、当時、やっぱりベイスターズは巨人の天下り先か、と思う気持ちは否めなかった。北海道日本ハムファイターズのフロント主導の球団システムを導入した高田繁を GM として呼ぶところまでは良かったが、工藤公康にフラれた後に「ひとり、監督をやりたがってるやつがいるんだが」と名前が出てきたのが中畑清だった。結局、元巨人の縁故採用かよ。そう思った。

これだけ負けて、あぁやっぱりベイスターズはダメか、と思っていたときにこの挨拶を前にして、圧倒的に暗黒に飲まれないキヨシエネルギーの強さに希望を持った。とにかくこんな熱を帯びて語る野球人に初めて出会った。知らない人はこの動画を見てほしい。僕の中では伝説になっている。

これまでベイスターズの建て直しに息巻いて腕をまくった人々が次から次へと飲み込まれた闇に、中畑は飲まれないどころかそれを跳ね除けるんじゃないか、そんな気がした。酷い試合だったけど、少し希望を抱いた帰り道だった記憶がある。

実際、ベイスターズを囲む熱気はこの後年を追うごとに高まっていった。私自身も社会人歴2年目となった2013年から、年々現地観戦の回数も増えていった。職場での立ち位置も確立して仕事の流量を自分でコントロールできるようになったとはいえ、去年の現地観戦が36試合に上ったのは、あの日、キヨシが着けてくれた情熱の火の続きなんじゃないかな、と本気で思っているのである。

高校時代にハマスタを駆け抜けていたスターの引退と、横浜に新しい熱気をもたらしてくれた太陽が交錯した、8年前の秋の話だった。今年も、早く野球が観たい。

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