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曖昧、安堵、祭祀

巡る思考と疑問。

アメリカ国立科学財団の研究によると、
私たちの脳は1日に1.2万から6万回思考をする。
1日の思考のうちの約9割が前日と同じ内容を繰り返しており、約8割がネガティブな内容とされている。ネガティヴ思考は脳の老化に繋がり
記憶力を低下させる。

何処から何処までを思考というのか不明だが、
同じところで回るのは、
何処かでまた外に出ることなく、
渦の中を巡っているためである。

結果として学ぶことがなければ
記憶には残りにくい。
学んだ事は実践して定着させていく。
それが実用的かどうかだ。
事象に対して反応→行動→結果がある。
大小はあるにせよ、いずれも
演算結果としての報酬系ホルモンが
快楽的思考の傾向が多いということに
繋がるのだろうか。
快楽とは世俗的や肉体的、
刹那的なものではなく、精神的な快感である。

手の届かない部分では
自己投影しながら生きている。


3大欲求、睡眠、食事、性欲がありながら
これらの4つが必要なのではないだろうか。

情緒的健康
自分の感情に気づきそれを表現すること。
知的健康
その時々の状況で考えて、解決策を出すこと。
社会的健康
他人や社会と建設的で良い関係を築くこと。
人間的健康
人生の目的や意義を見出し、
主体的に自分の人生を選択すること。

欲と向き合う事でバランスを取り、
クリアし実現していく、
でもその基準は人によって違う。
そしてこれらは蓄積されて自己肯定感、
自信となり、自分や自分の周りが向上していくことに違和感を感じなくなる。
自己肯定感が下がっていくと、自信が無くなる。
幸福度の水準を感じ方次第で下げる事ができるという風に理解もできる様にもなる。
物質的な幸福度の基準をあげて生活水準を
上げると欲は止まらなくなる一方なので、
変わらない幸せを感知するセンサーを
立てる必要がある。

目的を見失っているのか、渇望しているのかそれを誤魔化す事に上手くなっているのか。
曖昧な時間が過ぎる事が多くなってきた。
楽しみまで耐える一生が続くのは嫌だ。

そんな時は今一度振り返る。 
毒されてはいけない。
資本主義社会で競争は
必要悪でやっているということ。  

戦後物のない時代はより社会主義として、
ある資源を分かち合う心があったのだろうか、
競争原理を持ち込む事で生活にそれらが入り込んできてはいないだろうか?
安らぐはずの空間でも落ち着かないのは
そのせいもあるのだろうか?

春にこの景色を見るのは初めてだ。
特等席だったとは、初めて気がついた。
横には積読が得意な爺がいる。
いつまでも好奇心は持ち続けたいものだ。

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