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奇跡を疑ったら奇跡は起こらない

頑張っても奇跡が起こらないのに、頑張らない人に奇跡など起こらない
大切な大切な人からもらった私への愛のカツだ。
この言葉が私をどれだけ助けてくれたのか。


頑張りが必要な事もある

今引き寄せがあり、それを取得できた人達は、頑張らなくても大丈夫な事も増えている。
けれども、頑張りが必要な時もある。
例えば、
人と接触したくないけれど、接触しなければ現実が動かないとか、
事務的に動いているだけでは、誰かの心を動かせないとか、
文章を創りたくないけれど本の印税がほしいなど、
何というか、ケースによっては、必要な行動はある。

誰かにとってはコミュニケーションが得意でも、不得意な人からすると、清水の舞台から飛び降りるぐらいの恐怖が湧くこともある。
やりたくないことはやらなくてもいい、とされる引き寄せであっても、必要な行動はある。

そんな時は、自分のテンションの上がる方法で、気持ちを固めていき、強い心を作って、絶対に大丈夫と信じて、力まずに深呼吸しながら、事に当たっていく。
何度も何度も練習したから本番を迎える事ができメダルを取れたんだ!という気持ちで。

例え、私は天にお任せしたので信じていると言っても、その言葉を疑っていれば、お任せできていないのである。天にお任せが簡単にできるのなら、エイブラハム達の話なんか聞かなくても余裕の人生だ。

神様の奇跡が起きるを唱え続けるには腹筋がいる

神様の奇跡が起きる、という言葉も何度も何度も唱えていると2週間も経てば、腹筋がだるくなってきて、唱える力が落ちてくる。持続するには、1日数十回ぐらいにまで落とすことになる。
そこで最近の私は、神の秩序を使う。本の題名は、「とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく 著トーシャ・シルバー」

と同時に、バシャールやエイブラハム、他のアドバイスを見て、自身の悪癖や過去世からの課題など天に投げた唾を自分の頭に乗せて、自己反省している。

猛省と慈悲

過去世からの因縁については、何故か男の子(息子)が蛇を丸焼きにして真っ黒にしたあとペロッと食べてくれたので、私はその問題が解決されて、いい氣になっていたが、人の念はそんなものではないということを知った。
親にとって子どもは大切で、例え鎌倉時代あたりの戦であろうと残された母親の怨みは消えないのである。ということに、ある番組を見て、ようやくハッと気付いた。
それで、自分の安易な考えを猛省した。過去世の自分の悪行を心底謝り、その蛇さんが許してくれるのかどうかはわからないので、そこは神様にお任せにした。

と同時に、今回の学びとして、
よく悪霊退散などとやっているが、拒絶するのではなく、悪霊になってしまった背景を理解する事が慈悲であり、救いなのだと知った。
この答えを得るまでに、20年はかかった。

争いの姿勢は不要

蛇さんと自分の体験より、誰かに怨みという種を植え付けないように、怒ることはあっても、怒りを持ち続けて誰かと争ったりしないようにしよう、と自分に言い聞かせた。
そして今では、誰かと話し合いや交渉などが必要な時は、神様に御願いするようにしている。
「どうか衝突しないようにお導き下さい」と。
先述の本の全開バージョンの場合はこう祈る「神の秩序によって、明日の話し合いは双方の利益を生むように導かれます。それは正しい方法で正しいタイミングで行われ、これは既に神によって対処されています」これを3回唱えれば、安心して眠れ、話し合いの際も、落ち着いて対処できる。

そして叶う

こういった気付きと反省を数日間行い、引き寄せと祈りのレッスンをあらゆる方向から得て、今日あっという間に願いが叶った。それは問題が発生して3日も経っていない。
問題発生から、読経と祈りを続け、リアルなアドバイスを人から頂き、そのアドバイスに従って、情熱を相手に伝える事ができた上に、数時間後にはオセロがクルッと色変わったのだ。
嬉しくて泣いた。
勿論相手には、とても感謝している。心の底から、裏表なく

奇跡を信じる力を養おう

誰かが一生懸命誰かを助けようとして、公表してくれている不思議な奇跡を疑っていては、行動ができないし、何かが変わることもない。
洗脳されてはいけないけれど、感謝して受け取るぐらいは、自分を開いてみよう。
自分に合わないと思えば、その行動はしなくてもいいだけだから。

でも自分がいいな!と思い行動すれば、
きっと奇跡は起こる!


















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