毎晩、世界の終わりを弾いてくれる親父

チバユウスケ氏の訃報を聞いて、仕事が手につかない、ふわふわした気持ちで1日過ごしてしまった。今俺は40歳。俺の高校時代の邦楽ロックの目覚めのきっかけの一つはミッシェルだった。
チバユウスケは自分の人生を確実に飾ってくれた人だ。そんな記憶の断片を繋いで、思い出に浸りたいと思う。

俺がロックってめちゃくちゃカッコイイな、と気づかせてくれたのは高校生の頃に聴いたNIRAVANAのNEVERMINDだった。1999年の終わり頃だったと思う。俺は高校受験に失敗してヤバめの私立高校に通う羽目になっており、あまり中学の同級生に会いたくない気持ちもあり主に原付で登校していた。
そんな暗い登下校に、どこか退廃的な気持ちにさせてくれるNIRVANAは心に刺さりまくっていて、MDで毎日毎日聴いていた。
ある日にふと中学の同級生と会って近況を話すとNIRVANAが好きだという。家に行くとNIRVANAのブートのCDがあった。なんだこれ!?と興奮していると、なんとフェンダーの白いムスタングまであり、ちゃらっとSMELLS LIKE TEEN SPIRITを弾いた。「それって弾けるんだ!」と感動した俺は、すぐしないうちにギターを買って弾き始めた。

そうしてしばらくはどっぷり洋楽に浸っていて、邦楽なんて見向きもしないどころか、ださいと思って避けていた。
しばらくして、通ってる高校の友人づてにドラム、ベースをやってる友人に出会い3ピースのバンドを組んだ。何語かわからないような歌詞で叫ぶような形の歌を歌ってた。「叫ぶことが重要」と思ってやっていたので、心の解放感はあったものの、冷静に音源を聴き直して満足はできていなかったように思う。

そんなへぼ高校生バンドマンをやっていた2000年。高校2年生だった。小学校の元同級生がロック好きという噂を耳にして、ちょうど親が不在がちだった彼の家に複数人で入り浸り、ロックを聴きながらああだこうだとだらだら過ごすようになった。ほぼ毎日入り浸った。
レッチリ、レディオヘッドなんかに出会ったのもここだったと思う。

そんなある日、「フジロックって知ってる?つい最近やったらしいんだけど。録画したから見ようぜ」と、BSでやってた特番のビデオを見た。

もう、とんでもない衝撃を受けた。

ブランキー、ゆらゆら帝国、そしてミッシェル。
ミッシェルはたしかGT400と世界の終わりが収録されていた。世界の終わりには本当に痺れた。自分の邦楽ロックアレルギーから解き放たれた日だった。見ていた友人たちも大興奮し、「来年は絶対行こうぜ!」と言い合った。

そして2001年。自分のバンドでも、だんだん日本語の歌を歌うようになっていった。
ある日、地元の楽器店「あぽろん」に行くとTeen's Music Festivalの予選ポスターがあったので眺めていた。ふと、店員が話しかけてきて「出る?どんなのやるの?」と訊かれたので、「最近、邦楽いいなと思ってるんで、ピンクレディーのUFOでもカバーしようかな」と言ってしまった。意味はまったくない。単にその頃、UFOのイラストを落書きで描いていた。それに引っ張られて適当に口から出まかせた。
すると死んでいた店員の目が輝き、「え!?ちょうどさ、出演バンドでラジオ出演してくれるバンド探してたんだよ!出てよ!」とラジオ出演することになった。
しまった、UFOなんてちゃんと聴いたことないのに俺は何を言ってるんだろう、と思いながらもラジオでも「ピンクレディーのUFOカバーしますね」と言ってしまった。
メンバーにそのことを打ち開け、練習してみた。まったく圧倒的にぜんっぜん仕上がらなかった。

そんな中、ちょうどミッシェルのRODEO TANDEM BEAT SPECTERのツアーで新潟PHASEに来たミッシェルを観に行った。生まれて初めて観に行った大きなライブハウスで、メジャーなバンドのライブだった。
ぎゅうぎゅうになりながらミッシェルの出番を待っていると、スタッフが出てきてメンバーの楽器の音出しを始めた。アベフトシの黒いテレキャスの音を出した後、チバのホワイトファルコンの音をだした。すぐ隣にいたメンバーが「チバのギターの音、めっちゃ小さいな!」と興奮しながら話しかけてきた。
大きな箱でのライブの熱気、爆音に耳がおかしくなる体験、全てが新鮮だった。
記念にRODEO TANDEM BEAT SPECTERのツアーステッカーを買ってギターの裏に貼った。
興奮した勢いで、バンドでミッシェルの曲「blue nylon shirt」をパクって似ても似つかない曲を作った。
UFOは仕上がらなかったので、Teen's Music Festivalにはそのへんなシャツの曲で出演し、完全に予選で落ちた。店員は失望した様子で目を合わせてくれなかった。

佐野さん、あの時はすんません。でも、俺、そのあとフジロックに出たし、ロックインジャパンも出たよ!いつかまた会えたら酒でも飲みたいな。

2001年はその後念願のフジロックに行き、さらにミッシェルの出演するライジングサンも観に行った。ミッシェルは夜中の出番だったが、眠さと疲労感と闘いながらなんとか観た。
記憶ではなぜだか数バンドがCLASHのWhite Riotをやっていたような気がしていて、ミッシェルもやって不思議だなあと思ったような気がするが、記憶の書き換えかもしれない。(一応調べるとジョーストラマーが亡くなったのは2002年)内容はほとんど覚えていない。

ライジングサンから帰り、ミッシェル好きの友人とライブの感想を話していて友人の言った言葉が今でも忘れられない。

「なあ知ってっか?チバって、結婚してるらしいぜ。子供いるのかな。チバが親父だったら、毎日「世界の終わり」弾いてくれっぜ!最高だな!」

毎日、我が子に向かって「世界の終わりは〜」なんて歌う親父はどうかと思う、と強く思いながらも、流れで「うん、最高だな」と返した。

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