『鎌倉殿の13人』第28回「名刀の主」(2022年7月24日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

冒頭、13人の御家人による会議(評定)の様子が描かれる。今回、中原親能と梶浦景時がいなくなるので、こうした会議のシーンは最初で最後となる。個人的な思い出で恐縮だが、かつて大学院のゼミの時、寝ていた某先輩が先生に当てられて「ちょこっと」と返答したことがあったのを、安達泰盛が比企能員に起こされて「むつかしいところですなぁ」と言ったシーンで思い出して笑った。その某先輩も今やとても偉い先生である。

訴訟の決裁がもっとも重要と前回、三善康信(今回から出家して入道姿)が言っていたが、今回の評定も常陸国の大谷太郎と次郎の土地争いが訴えの内容。八田知家が事情に詳しかったのは、奥州攻め以降、八田の本拠地が下野から常陸へと代わっていたがゆえだろう。自分の領地でのことをよく調べているという話になっている。

こうした事案を裁くことで鎌倉殿の権威が高まり、世の中が治まるというのはもっともだろうが、多分、利権も発生するところも多かったのではないかと推察する。ドラマでは比企や北条があいつは知り合いだから云々と言っていたことからもわかるように、逆に言えば権力者はそうした知り合いの便宜を取り計らうことで、金銭なども得ていたのだろう。三浦義村が景時追放にえらく熱心だったのもそうした利権絡み(相州地元関連で)もあったのではないかと推察される(間違っていたらゴメンなさい)。

それはさておき、『吾妻鏡』が描写するように頼家は暗君だったのか、それとも最近の新説が主張するようにそれほどでもなかったのか……。三谷脚本では、景時が自らを刀に喩え、「刀は斬り手によって名刀にもなれば、なまくらにもなる。なまくらで終わりたくはなかった」と義時に言っていることから少なくとも景時からは暗君に見えたという解釈になっていた。

【今日のワンポイント】
景時は朝廷との有力なパイプを有していた。土御門通親が後鳥羽上皇に景時を使える男として推挙していたことからもそれはわかる。北条からすれば、景時が京都の勢力と結びつくことは絶対に阻止したい。そして、鎌倉を追放された景時が向かった先はやはり西。景時が義時に通親からの手紙を見せたのは大失敗であった。

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