6,狭山茶ミステリ― 日本史の初期化から

狭山茶を含む日本茶の正しい歴史を知るためには、関連する日本の歴史を再検証する必要があります。

それは「(コンピュータ同様の)初期化を行う」ということでもあります。こうしないと、新しい書き込みが、古い「作り話」により邪魔され、正しい情報がインストールできないからです。

次に、「日本人」の定義を整理しなくてはなりません。そのためには「アメリカ合衆国」という国に暮らす人々を正しく定義する必要があります。

ご存知のようにアメリカは移民の国です。「エデンの園」を本気でつくろうと、イギリスからの「渡来人」たちが新天地を求めやってきたことが、アメリカ合衆国の原点です。
日本という国も同じです。オリジナルの日本人が暮らす土地に、紀元前400~300年前に、中国から稲作と高床式住居を携えてやってきたのが弥生人です。ここから壮大な日本の歴史のストーリーはスタートします。

簡単に言えば、アメリカン・インディアンがアメリカ人のオリジナルでないのと同様に、オリジナルの日本人だけが日本人ではないということです。手塚アニメの「火の鳥」などにも示されているように、原始の時代から日本へは、たくさんの渡来人がやってきて住み着いています。朝鮮半島から渡来した人々、南の国から黒潮に乗り日本にたどりついた人々など、日本はアメリカ同様にさまざまな人種が平和に暮らせる、迫害からの避難民国家であったのです。

このように考え、これまで脳にインプットされたものをインプットしないと武蔵(牟佐志)の謎、狭山茶ミステリーは解明できません。
牟佐志国造については、こちら記事が大変参考になります。
 
千家尊福国造伝 第7部・政への回帰⑤古代に始まる武蔵との縁―氷川神社では三神復活 山陰中央日報 2018年9月18日掲載 |記事一覧|千家尊福国造伝|連載・寄稿|八雲の空 岡本雅享の出雲学 (izumo-studies.info)
尊福自身も早くから、埼玉との縁を結び重ねていた。式内出雲伊波比(いわい)神社を受け継ぐ出雲祝神社(入間市宮寺)の本殿には、尊福が(明治)7年秋に当社を訪れ、揮毫・奉納したという扁額が掛かる。尊福は14年春にも同社を訪れ「牟佐志(むさし)国造御社」の石碑を立てた。
<引用終了>

以下のように記しました。

狭山茶のはなし - 埼玉県 (saitama.lg.jp)より

あたかも狭山茶の発祥の地は川越であることが定説のように紹介されていますが、これは大きな誤りです。歴史は、必要性と連続性を考察した上での広義の類推(異なることの類似性から、真実に近づかせる思考の道具)から真実がみえてきます。

狭山茶の必要性 ― 禅寺の必需品が東の国(鎌倉、むさしの国)でも必要であった。
狭山茶の連続性 ― 茶園も製茶工場も現在では入間市が多く、川越市には少ない。

結論は「禅寺の必需品である狭山茶は入間市(旧武蔵町)が発祥地である」であり、埼玉県や川越市が定説としている河越茶とはルーツが異なるのであるということです。
<終了>

この記事以降、シリーズで「狭山茶ミステリー」について記事投稿してきましたが、本日以降は「狭山茶の発祥地は元狭山村 元狭山村 - Wikipedia であった可能性が極めて高い」という、説を立ててこのブログに記していきます。

埼玉県も入間市も困惑するかもしれませんが、子どもたちに正しい歴史を学んで欲しいという思いからのものであり、関係者へ迷惑がかかるような行為は、厳に慎んでいただきたくお願い致します。

※NHKの大河ドラマがそうであるように、「そうかな、と思います」ではストーリーを展開していていけません。故に、断定的な書き回しになることをご理解いただきたいと思います。


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