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日本人の戦争責任と石破茂議員の徴兵制

X(旧Twitte)より

中村むねひら on X: "#石破茂 総裁(首相)候補に聞きたい。「徴兵制」を実現させるのか? 『国防 (新潮文庫) 』 石破茂 著 「私がなぜ、徴兵制を憲法違反だとする発想がすごく嫌いなのかというと、民主国家と言うのは本当にみんなで努力しないと守っていけないものだという認識が欠落しているからです。" / X

中村むねひら on X: "しかし、いかにして税金を逃れるかということが流行り、#徴兵制 を憲法違反だと得々と言う。私は日本にはそういう国家であってほしくないと思っています」" / X

映画「私は貝になりたい」 ウィキペディアより
けれど、こんど生れかわるならば、
いや、私は人間になりたくありません。
(この間加筆挿入)
牛や馬にも生れません、人間にいじめられますから。
どうしても生れかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。
貝ならば海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もありません。

兵隊にとられることもない。戦争もない。
妻や子供を心配することもない。
どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです
— 加藤哲太郎(志村郁夫名義)、『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(1953年、飯塚浩二編、光文社
<引用終了>

母の教え子の記録から

 H先生に教わったのは昭和18年、4年生の時だった。先生は実業学校を卒業したばかりの18歳で学校の宿直室に寝泊まりされていた。何もかもが軍国調一色に染まっていく学校の中で、この先生は今考えてみると他の先生とはすこしちがったところがあった。
<中略>
その後(※終戦後)私は、ひとりだけで先生に会う機会があった。そのとき先生はなんだか淋しそうで、「俺は捕虜を殺した。」と云った。塹壕の中に集められた新兵たちに、隊長は柱に縛り付けられている捕虜を銃剣で殺すよう命令したのだ。「かかれ!」の号令に誰も身動きできない。不気味な沈黙のつづく中で先生はとび出していってしまったと云うことだった。
 先生は大学に復学されて通学していたがその2年後に心臓麻痺で急逝された。私たちは誰も葬式に参列できなかった。申し訳ないことだが、その後墓参りにも行く機会もないままになっている。
 その後、私自身が大学生になってから、H先生のことについて2人の人から偶然話を聞く機会があった。
 1人は県主催の成人式で会ったその村からの代表の人でH先生のことは知っていて、先生の死が覚悟の死だという噂を聞いていると云う話であった。
<引用終了>

H先生は筆者の母の同僚教師でした。母の同僚の女性教師がアメリカ兵にレイプされ自死したという話を聞きました。祖父はその話を聞き、学校を退職させ、家から一歩も出さない措置を取ったそうです。レイプされたのが母であったなら、今、こうして書いている私は生まれてかなかったことでしょう。その私には日本人の戦争責任を伝えていく義務があると考えています。

2008年の劇場版の「私は貝になりたい」で清水豊松(中井正広)が冒頭のような心情に追い込まれていったのに対し、同刑(絞首刑)の大西三郎(草彅剛)は聖書を手に持ち、静かに処刑場に向かっていくシーンが私には忘れられません。

「戦争は人を狂人にする」、私たち日本人が深く心に刻むべき言葉であり、義務教育で教えなければいけない言葉です。

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