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23歳の死にきれなかった私が伝えたい6年前の精神病棟での話

(記事が長くなるので、何部かに分けます。)

お久しぶりです。

つばきです。

また日が空いた。

のんびり書きまーす!

最近 わたしは、花粉症なのか 肌がかゆすぎる!

なのでもっぱら

大好きな行きつけの銭湯にいきまくってます(笑)

サウナの中で、だいたいいつものメンバーで

お笑いや、バラエティをみながら

時を過ごす瞬間がたまらなく

幸せに感じる今日この頃です。


そして、日本は春になりました。


新しい出会いや

別れを経験する人が多いこの季節

同時に、うれしい人もいるけど

悲しい人もいると思った。

それは、私は冬が苦手でここ最近まで

病んでたのと同時に

このノートを初めて多分3年ぐらいたったのか。

と最近気づきました。


と思うと、3年の間に

私自身 いろいろあっておもろいのですが...

一番最初に書いた記事が正直めちゃくちゃ重い。


だけど、最近は私は

生きていた。

生きていて

また違う気づきを得た。


あの記事を書いたけれど、

今年も死にたいとか、

生きていても意味がない。


なんて思って2月は、体調もすぐれず

ほぼ、ごみのように毎日ただ何もせずにいた。

ごはんも作ることもできずに、

おなかがすくだとか、

うれしいというプラスの感情がなかなか

気づけなかった。


ただ、気づけば夜中になって、

頭の中では、将来のことや

過去の、過ちや

辛かったことのことを思い出していた。

今思えば、


あさのひかりも浴びずに


部屋から一歩も出ず

昼前に起きて、

ごはんも一日1食

だけどそれがお菓子だけとか

バランスが悪いものを食べて

寝る前にも携帯をみて

だらだら何も考えずに

携帯をただぼっーとみていた。


そして、運動もせず、

読みたかった本も

ベッドから手を伸ばせば、

本棚にもあるのに、本も読まず

人と一言も話さず、

掃除もせず

ただじっと、じとりと

生きていた。

躁鬱病というものは

治ったと思ったら

また、芽を出してくる。

春になると自然に出てくる

つくしのように

にょきっと、なぜか。

前置きが長いけれど、

私は高校2年生の時。

自殺未遂をした。

風呂場で、自分が好きなあったかいお湯につかりながら

眠るように死ねたらいいのにとか、

楽に死にたいと思ったのかもしれない。


追いつめられると

簡単に思いつく方法しか

行動できないのかもしれない。

小学生の頃から、死に方をいろいろ

図書館で読んでいた。

本を読みながら、

結局美しい死に方はないのかもしれない

綺麗な死に方はないのなら、

できるだけ、居たくなくて

安楽死に近い

眠るように死にたいと日々

思っていた。

自分の血にまみれて

死んでしまおうと思ったのだと思う。

だけど、

私は、最後まで死ぬという

決定打を自分で打つのが怖かった。

中途半端に死のうとした。

それで、いろいろあって精神病棟の閉鎖病棟にいれられていた。

最初は、歯ブラシも自分の口にいれて

死ぬ可能性がある、

大きめのタオルも危ないということで、

時間が来ると、母や看護師さんが

もってきてくれた。

最低限のものしか最初の2日ぐらいはなかった。

携帯もなく

時計もなく、

窓から見える夕日が沈むのを

布団から

真っ白な、殺風景な部屋からみていた。

綺麗すぎるほど、整いすぎるほど

何もない真っ白な部屋。

今でも、なにもない白い部屋が苦手だ。


あの時、時間もわからなかった私は

部屋に訪ねてくる母や

看護師さんが来る瞬間。

うれしかった


そういう感情は覚えている。


つばき



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