女若手芸人2020をみた所感と、価値観のアップデートについて

先日23時をすこし回った頃、頭をからっぽにして笑いたいと思ってアメトーークをつけた。括りは「女若手芸人2020」。総勢10人の女芸人が、昨今の女芸人事情について語るという回だった。
その10人の中に、ラランドという男女コンビから1人の女芸人(サーヤ)もいた。はじめに言っておくが、わたしはこのラランドという芸人にどハマりしている。平日には港区OLとして広告代理店で勤務する傍ら、どこの事務所にも属さずフリーで芸人もやるという二足の草鞋を履きこなす姿は見ていて新時代的だった(広告代理店での感覚を芸人にも適応させようとしてる合理性も好きだった)。なにより、ネタが面白い。YouTubeの動画も全部見たし、スマホのロック画面も彼らの単独ライブのポスターにするほどだった。

番組の流れとしては、昨今の厳しいコンプライアンス縛りの状況下で、顔芸やリアクションで売ってきたタイプの女芸人が「ブスだ!」と弄られづらくなって困っている、という話から、
女芸人は破天荒な恋愛ネタをもってないとガッカリされる、という話まで興味深いものがたくさんあった。

そんななか、体を張ることで飯食ってきた、いわゆる”古典的な”女芸人が、新時代的で価値観がアップデートされているといわれるサーヤに、
「本当にそれ(体を張ること)が好きでやってるんですか?」「綺麗って言われたくないんですか?」「好きな人の前でそのネタできますか?」と、ガン詰めされる展開が番組内で鉄板化していった。番組の大オチも、白粉に顔を埋めて絶叫する女芸人に対して、「本当にそんなことがやりたいんですか?」とかいって、「わたしの…やりたいたいことってなんだっけ……」と洗脳されたような締めで終わった。隣でなんとも言えない切なそうな顔をしていた相方が、印象的だった。

サーヤが言いたいことも分かる。分かるし、無所属でたった1人で、現在のテレビ業界にメスを入れようとする姿には勇気をもらう。
けど、何だかとてつもなく違和感を感じた。何も考えずに笑って過ごしたくてアメトーークをつけたのに、モヤモヤとしてしまって結局2時過ぎまで寝られなかった。

(あの場の空気感を言語化するにはまだまだ文章力が足りないので、未見の人はよければ見逃し配信か何かでみてもらった方がわかりやすいと思う)

違和感の種

サーヤが、歯に布着せぬ物言いで人気を集めつつあるのを知っているし、実際わたしもそこで注目し始めたうちの1人だ。
けど、新しい価値観をアップデートするために、こちらの方が正しいのだ、と言わんばかりに古い価値観を淘汰していくさまは見ていて気持ちの良いものではなかった。

1人の女芸人に、何をそんなに期待しているのだと笑われそうだが、それだけわたしは彼女が、そしてそのコンビが好きで、新時代的で、何だかテレビを変えそうな予感がしてたから、なんだか余計に悲しくなってしまった。

ここまで考えて、ある言葉が過った。少し前にトレンドにあがっていた芦田愛菜大先生の、「人を信じるということ」についてだ。引用すると、こんな感じだ

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」
「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」

これを読んだ時は、「信じる」ことが「自分に自信がないからする行為」という方程式にいまいちピンときていなかったが、今回の件でドンピシャ理解できた。まさしく同じような現象が起きていた。

頭をからっぽにして笑えるくらいがちょうどいいバラエティ番組でさえ、自分の主義主張が求められる時代になってしまったのか…なんて窮屈なんだろう。

それでも

テレビの作意的な切り取られ方のせいも大いにあるだろう。それに、ラランドのネタをこれからも追いかけていきたい。でもやっぱり違和感が拭い切れない。おそらくその正体のひとつは、《今回の言動をもってしても盲信的に推している一部のファン層》が、わたしにとって理解しがたいからだと思う。

「いつも自分の考えをズバズバ言えて尊敬してます!」「カッコいい!」「わたしも貴女みたいになりたい!」みたいな声まであった。(厳密に言えば、こういった盲信的な意見だけが抽出された彼女のインストも奇妙に感じた)(まぁそこは完全に個人のフィールドなのでそう感じるのはわたしの勝手なのだけれど)

人間として社会で生きていくにあたって、価値観をアップデートしていくことは必要不可欠だ。これを怠り始めると、おそらく融通の効かないクソババァの第一歩となるのだろうと思う。

(これはまったくの余談だが、のだめカンタービレのドラマ再放送にあたって、原作者の二ノ宮先生が

これを機にのだめの原作を読む方々。この作品には数々の暴力、セクハラシーンがあるのでご注意下さい🌷
描き始めた2001年の二ノ宮規格がもうね。。

とツイートしていたのが、まさに価値観のアップデート!って感じで印象的だった)

アメトーークの話に戻るが、今回あの番組で「女としての自意識」と「芸人の仕事に対するプライド」の天秤にかけて考えるには、エンタメを作る側見る側どちらもまだ成熟が足りてないのだと思った。(身体を張って笑いをとることが許されなくなるなら、それは女芸人だけでなく男芸人だってそうじゃない??とか、そもそも”女芸人”っていう言葉自体がナンセンスじゃない??とか、考え始めたらキリがない)


いよいよ着地点が分からなくなってきてしまったが、まぁ要するに、価値観のアップデートをするにあたって、
それぞれ個人で大切にしていることがあるということを忘れずにいたいし、そこにちゃんと寄り添う姿勢も見せながら、その上で自分はどう思うか?を考えられるようになりたいな〜と思いました。来週のアメトーークは純粋に超面白そうなのでみる。以上

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