子を産み出すにはまだはやい。

最近自分の将来のことばかり考えている。心ここに在らずといった具合に。でもまぁ心がここにあったところで特段使い道もないような平凡な日常が繰り返されているだけなので、それでもなんの差し障りもない。

そんななかで結構なウェイトを占めている考え事が、将来わたしは誰かの母親になるのか?ということなのだけれど(なりたいのか?なれるのか?を含む)。いつ考えたってどこからどう考えたって辿り着く答えは100パーセントNOだった。その理由については、なんとなくはわかっていたけれど、うまく言葉にできないモヤモヤとしたものだったのが、今日のちょうどお昼寝から起きたあたりで急に頭の中にふっと言語化されて降りてきたので、忘れないように書き留めておこうと思う。

〈幸せのなり方が分からない〉

幸せに生きていきたいと思う。現にわたしは、とても幸せ者だと思う。
愛してくれる家族がいて、兄弟とも仲が良い。毎日美味しくご飯を食べることができて、雨風を凌げる暖かな家がある。必要としてくれる職場もある。最近は人間関係も多少まともになってきた。いいところも悪いところもひっくるめて愛してくれる恋人がいて、なんでも話せる友達も数こそ少ないかもしれないけれど確かにいる。


だけど、
わたしは自分がこんなに恵まれていることが、たまに全て信じられなくなる。それは、自分の幸せがすべてただの運と奇跡の積み重ねによるものだからだと思うからだ。

生まれた家族は自分で選ぶことはできない。これまで心身健康に生きられているのもたまたまだろう。友人も恋人も、出会いはすべて運であり、自分でコントロールできるものではない。

わたしの子どもも、わたしと同じくらいかそれ以上に幸せでいてほしいと思う。でもそれも全て運だから、そんなものが叶うかどうかなんて保証はひとつもない。

そして、
こんなに幸せ者なのに、それでもたまに無性に生きることが苦しくなることがある。わたしがこの世に生み出すからには、我が子にこんな思いは味わってほしくない。
でも、どうしたら幸せでいられるのかわからない。それがわからないうちは、わたしは何かを育てる資格はない。

幸せは、本当に運なんだろうか。
人生において、幸せであることが全てなんだろうか。



きっと、自分の人生をまるっと大肯定して、わたしの子なんだから”幸せ”にならないなんてありえないでしょ?くらいつよつよの思考を手に入れることができたら、わたしはもう一つ大人になれるのかもしれない。

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