すべきという概念にとらわれてしまうこと
人は「~すべき」という概念にとらわれる動物である。
程度の差こそあれ、社会が作った理想像を追い求められる息苦しさは誰もが感じていることだろう。
嫁さんも当然、例外ではなく、むしろ人一倍そういった概念に敏感で、すぐに自分を追い詰めてしまう。
「女性なんだからいつも小綺麗にしておくべき」
「妻なんだから家事は完璧にこなせるべき」
「母親なんだからこども第一で考えるべき」
「母親なんだからこどもの手本となるように行動すべき」
こういった"べき論"を自分に当てはめてみて、全然できていないから自分は失格だということになってしまう。
"べき論"があって、それに向かってまだまだ至らないところがあるから努力しなくちゃというのは自己成長のためにもいいことだと思うが、至らないから自分は失格というレッテルを貼ってしまうくらいなら"べき論"は語らないほうがいい。
そうやって自分で自分の首を少しずつ締め上げていって、やがてその苦しさから逃れるために"死"を考えるようになってしまうから。
だから嫁さんにはできるかぎりそういった"べき論"にとらわれないように生きていこうと話してきたのだが、ふと最近、自分もその"べき論"にとらわれていることに気付いてしまった。
自分の場合は家族のためにもしっかりしなくちゃいけないから、もっともっと勉強しなくちゃいけない。
だから少しでも時間ができたら本を読まなくちゃいけないという具合にだ。
なので、家族と話せる時間があったとしても、それは本を読んで勉強する時間なんだと勘違いして過ごしていた。
最近、なんか生きていて息苦しいなと思っていたのだが、原因はこうした"べき論"であったり、自分がワクワクすることに時間を使えていなかったせいだと思うようになった。
自分が"べき論"にとらわれているのに嫁さんにとらわれるなと言うのもちょっと違うなと思ったので、まずは自分が楽しい時間を過ごせるようにしないといけないと思う。
話がそれてしまったが、まじめな人ほど、この"べき論"の罠にハマり、自分をどんどん追い詰めてしまう。
そして、「"べき論"にとらわれずに生きていこうね」と言ったからといってすぐに改善されるくらいなら苦労はない。
うつ病は簡単に言えば考え方や思考の癖を直してあげれば治る病気だと思う。
特に人の目を気にしすぎる傾向にあるので、それがなくなるだけでもかなり改善されるだろう。
ただ、今まで生きてきて自分なりに構築してきた自身の考え方を変えていくことは至難の業だ。
それでも今後のよりよい人生を歩んでいくためには、少しずつでもいいからその考え方を自分を追い詰めないような方向に変えていってやる必要がある。
今回の"べき論"も同じで、自身でもこうあるべきという考え方を辞めたいとは思っているが、どうしても知らない間に自分を追い込んでいってしまうのだ。
それを変えていくためには周りの人間が、変化を敏感に感じ取って話を聞きながら修正していくしかないと思う。
まだ現時点で「すべきという概念にとらわれてしまうこと」を無くす兆しは見えていないが、少しずつそこに向かって歩んでいきたい。
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