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「クエスト攻略」case.4「パパラッチの矜持」

「ファンのつくコメンテーター」は何が違うのか?

さて、早いもので第4回目。Facebookのコメント欄も良かったけれど、こっちの方が気兼ねなく長文を書けるのは大きなメリット。気が向くままに、筆が向くままに。ノリに任せて徒然なるままに綴らせて戴こう。それでは始まり始まり。

パパラッチのお仕事。

まずはここから分解してみよう。扱うネタは多岐に渡るが、代表的なものは「不倫」「不正」「横領」「逮捕」「薬物」…いやぁ正直読みたいかコレ?と思わんでも無いが、それはあくまで個人の感想だ。

実際に週刊誌はまだまだ売れていて、テレビをつければどこでも鉄板ネタとして放送されている。本当に需要が無いなら「=売れない商品」なので、とっくに廃れている筈。

どんなサービスも、「金銭のやり取りが発生する」=「誰かの幸せ」が成り立つ。職に貴賎なし、だ。

つまりこれらは大衆にとって必要なモノであり、一概に弾圧すべきでは無い、とも考えている。自分の好みでこそ無いが、かといって弾圧すると「そのコンテンツを買っているお客様の人格まで否定する」事になるからだ。それはそれで気持ちの良い行いでは無い。

そもそも何で需要があるのか?

その疑問はご最も。「わざわざ暗いニュース」×「わざわざ下衆なパパラッチ」のマリアージュを好むなんて、「一体読者はどれだけ醜いのか?」と感じた貴方。それはとても正しいが、同時にかなり危うい。今貴方が抱いた「嫌悪感」と「正義感」。実はこれこそが本質だと、私は考えている。

「正義」と「悪」。どちらが先か。

実はこういった明確な「悪」が存在することによってようやく生まれるものがある。「正義」だ。闇から光が生まれるように、混沌から秩序が生まれるように。「正義はいつだって悪ありき」なのがこの世の事実だ。

火災が無くなれば消防士は失職。
犯罪が無くなれば警官は失職。
病で医師が、罰で看守が、死で聖職が、苦でカウンセラーが。

残酷だが、これは受け止めて欲しい。

「明確な悪」がもたらしてくれる「見せかけの正義」。

つまりだ。パパラッチがもたらしているサービスの本質は「奴隷を用いた、民衆への自己肯定感の演出」だ。相対的に「惨めなモノ」を「下衆な商人」が用意する事で、「自分は正しい側に居る」という「正義への錯覚」をもたらす嗜好品。「マイナス×マイナス=プラス」の原理である。

※実際には「マイナス+マイナス」を受け取っているので「2マイナス」なのだが、ココでは一旦スルーして欲しい。

勿論、これはあくまで「購入者の脳内」のお話だ。「なんの勉強もせずに自分を正義の側に立たせてくれる」なんてお手軽ドラッグは、大衆にはあまりに魅力的にすぎる。

では、パパラッチが切り捨てられる時はどんな時か?

これはシンプル。パパラッチ自身が「正義」を振りかざした時だ。

そも「顧客に正義の仮面を売ってくれる」から今まで生計をたててこれたのに…パパラッチ自身が「自分は悪くありません。そうしないと家族を食べさせていけないから仕方なく手を汚しました。僕こそが被害者です。」なんて宣ったら?

「惨めなモノ(-)」×「正義の記者(+)」=「醜悪な読者(-)」が成立する。

パパラッチの保身の為に、「サービス提供者が顧客を売った」事になる訳だ。

こんなことをされたら、「顧客が全ての元凶です」の図式が成り立ってしまうでは無いか。「悪いのはそれを買った顧客です」と裏切られたら、顧客の「真実の悪性」を暴露される訳だ。例えパパラッチが自分を「義賊」だと思っていても、「口に出してはいけない」のである。

丑三小僧は黙々と「悪事をみんなの代わりに」やってくれて、一方的に大衆に「富を押しつけてくれる」から愛されるのだ。民の前で「俺だって本当はこんな事はしたくないんだ。でも仕方ないだろ?そうしないとあんた達だって食っていけないんだ。俺は1ミリも悪くない。全てはあんたたちの為だ。なぁ、そうだろう?」なんて口にしようものなら直ちに売り飛ばすしかないに決まっているのである。

では、パパラッチは皆消滅すべきか?

と、ここまで散々コキおろしたが…かと言って全パパラッチが消滅したら世界は平和になるか?と言われると、それもまた違うと思う。例えば、もし「交通事故の記録が1日で全てリセットされる世界」があったら?きっと「生まれる車の数=交通事故でダメになる車の数」となるだろう。道徳の教科書よろしく、「悪の記録が無いと悪の防ぎ用も無い」のだ。

いずれは人類皆が総監視の社会になるが、それは同時に犯罪への予防としての側面も持つ。いずれその日が来るまでは、きっと存在意義はある筈だ。

必要なのは、「悪の矜持」。

よって重要なのは「自分が何を求められているのか」という「責務への理解」。いわば、「悪の矜持」だ。自らが悪を引き受ける事で、代わりに救われる誰かがいる以上、一概に否定する事も出来ない。商業として成立している間はまだ需要がある以上、決して自らを必要としている顧客を売ってはいけないのである。

まとめ。

下衆なら下衆で、プロとしての確たる誇りを持つべし。




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